東奔西走 2007 秋

 今年の夏から秋にかけてはとんでもなく忙しかった。今年の忙しさは、おそらくバブル期以上であろう。景気が良くなったのは喜ばしいことであるがちょっと凄まじすぎる。
 忙しいと疲れるのでやせると思われるが、実はストレス解消でたくさん飲み食いして太ってしまう。昨年、歯の手術で入院し、病院食で2週間に7キロやせたのであるが、ここんところの酒と夜食で70キロを越えてリバウンドしてしまった。すると体重増に負けて、左足の膝痛が再発しはじめた。休日は身体が疲れているし膝は痛いしで、遠出のできない日々が続いていた。

 
麻布台(東京都港区)
2007年8月

 本業の仕事で美術館の設計をしている関係もあり、「六本木アートトライアングル」を巡ろうと建築家志望の娘を引き連れて六本木に出かけた。地下鉄南北線六本木一丁目駅の改札を出るとサンクンガーデンが設えられていて地上からの光で明るい。長いエスカレーター乗り継いで丘の上に上る。そこは最近再開発された泉ガーデンビルである。この丘の上にはスエーデン大使館やアメリカ大使館、ホテルオークラ、アメリカン倶楽部などが立ち並ぶお上品な地域である。そこから南へ歩くと崖線があり飯倉の丘との間が谷状になっていて、丘の上とはまったく対照的な住宅の密集地域となっている。ここは麻布台一丁目といって全体が市街地再開発の予定地なっている。戦後の建物が開発を待って、すでに空き家になっている家が多い。
 麻布台一丁目の谷に下りる坂道から、対岸の丘の上に大屋根建築の霊友会本部、戦前に建てられた日本郵政飯倉分館、その奥に東京タワーが眺められる。そして下り切ると砂利道も見られる戦後の住宅地となっている。かつてアークヒルズも六本木ヒルズも再開発の前は同様の町であった。麻布台ももうすぐ従前を思い出すことができない町に変わってしまうのだろう。
東京ミッドタウン(東京都港区)
2007年8月

 ホテルオークラからアメリカ大使館の前を過ぎ、溜池交差点で六本木通りを渡る。そこは赤坂である。ビルやマンションに挟まれて戸建て住宅も結構残っている。赤坂はその地名のごとく起伏の激しい町で坂が多い。丘の上の緑に惹かれて坂を上ると赤坂氷川神社に出た。都心の真っ只中とは思えないほどのうっそうと茂った鎮守の森である。
 丘の上をたどってかつてのお屋敷町を抜け、高くそびえる東京ミッドタウンへ向かう。東京ミッドタウンは防衛庁跡地を民間が開発した複合施設である。オフィス、住宅、美術館などが広い緑地とともに整備された。この町のコンセプトは『和』だそうで、建物外観から内部空間にかけて和のテイストでまとめられている。デザイナーもたくさんかかわっていて、建物デザインとしてみると個々はすばらしいが全体の統一感というと?マークという印象だ。 ガレリア形状の商業施設は娘も気に入った様子。そしてサントリーミュージアムに入った。私の目的は美術館の調査なので、美術品には目もくれないで施設の細部を舐めるように見て回る。
 ミッドタウンガーデンを歩きたいが暑くってその気にならない。先を急いで新国立美術館へ。こっちには東大生産技術研究所の跡地に建てた新国立美術館がある。建築家黒川紀章の作品で、美術館に必要ないような大空間の建物であった。そもそもあまり好きな建築家ではないので、建築も好きにはなれない。
 最後は六本木ヒルズ。オープン時に訪れたときは物凄い人だったので立ち入る気がせず、今回初めてタワーに上った。タワーからの眺めはすばらしかった。
TDS(千葉県浦安市)
2007年9月

 娘を勉強させるため、「夏休みに430時勉強したらディズニーシーに連れて行ってやる」とニンジンをぶら下げた。一日欠かさず10時間勉強することなど途中で挫折するかと思ったら見事やり遂げてしまった。ディズニーが目標だと馬鹿力を発揮するようだ。なんと単純なわが娘か。
 約束の日。ゲートオープンの1時間前に行ってゲートに並ぶ。仕事で疲れきった40歳半ばのパパには酷である。私の今回の目的は、5月のディズニーランドに引き続いて、テーマパークの町並みとしてディズニーシーを見ることである。シーは大人も楽しめることを意識して作られているというので、作られた町並みだが期待する。
 人気アトラクションのフェストパスを使いながら効率よく乗るために、園内を4周はしたであろう。広い敷地だったがほとんど隅々まで歩いた。しかし、シーの町並みは良くできている。海をテーマにした7つの港町をイメージしたいうが、本当に良くできている。アトラクションはランドに軍配が上がるが、町並みはシーのほうが断然面白いし楽しめる。最新アトラクションのタワーオブテラーは建築としてもなかなか迫力があった。シーは、レストランで食べたり飲んだりして町歩きをするような楽しみ方もでき、海外旅行でもしてきたような気持ちにさせてくれる町並みである。
(京都府京都市)
2007年9月

 京都に設計したビルがそろそろ完成する。数年前より通った京都も工事が終わればしばらく来ることがなくなってしまうであろう。相変わらず膝痛が引かないが、朝一番の新幹線に乗って仕事前に一町歩くことにした。
 京都駅から近鉄、丹波橋で京阪電車に乗り換えて淀駅で降りる。淀は東海道(京街道)の宿場町で、東へ行けば伏見を通って京都へ、西へ行けば橋本、枚方、守山を通って大阪へ通じている。また、淀の町は淀川と木津川の合流地点にあり、自然の地形をうまく使った淀城の城下町でもある。
 いらかぐみの面々から「淀にはあまり残っていないよ」とは聞いてはいたが、確かにあまり残ってはいない。町の途中で旧街道が不自然にくの字に曲がっているのと旧街道から外れたところに古い家が建っていてちょっとおかしいなぁと思っていた。最後に淀城跡に寄ったとき、旧城下町の絵図があった。よく見ると旧街道はくの字のラインは通っておらず、おかしいと思った外れたルートを迂回していた。その理由は城下町の絵図と重ね合わせることで判明した。
リゾナーレ(山梨県北杜市)
2007年9

 暑さも穏やかになり、久しぶりに家族旅行に出かけることになった。場所は山梨県の八ヶ岳山麓。山梨県は探訪率の高い県であるが、勝沼や鶯宿などまだ歩いていない集落町並みがある。しかし、家族旅行に徹するために一切町歩きはしない。ホテルは奮発して私の好きなリゾートホテルリゾナーレをリザーブした。 東京をゆっくり出て昼に大泉町に着いた。昼はソバ打ちを体験した後、自分で打ったソバを食べた。そしてホテルを楽しむために3時にチャックイン。
 リゾナーレは20世紀末期に起こったバブル経済の頃に計画されたリゾートホテルで、それまで観光スポットになっていなかった小淵沢の森の中に建てられた。イタリヤ人建築家のマリオベリーニがデザインしたホテルで、中世欧州の城郭都市の構成を思わせるように、レジデンスを通りに面して集め町並みをつくっている。起伏を利用して通りを緩やかに傾斜させ、奥行き感を演出するため曲げ、1階にアーケードを形成している。いままでのリゾナーレでは、この通りに面するのは宿泊施設だけだったので、空間は美しいがある意味つまらなかった。ところが経営者が変わり、このアーケードに面する1階を店舗に改修したことによって町並みとしての魅力がグッと増した。結果的に人の流れができて本当の町並みのように賑わうようになり、ホテルも繁盛しているという。
 町並みというのは単に建物だけが作り上げているものではないことを証明するいい事例である。

 

 京都の四条烏丸に設計したビルが完成した。大正14年に建てられた旧三菱銀行京都支店の建て替え。場所の歴史性を継承しようという趣旨で、交差点に面する旧建物の印象的な壁面の石を保存し、建物の基壇部は旧建物のイメージにつながるアーチ形状のアーケードとした。四条通りの商業は四条河原町を基点に西へ西へと延伸していて、この建物の1階にもブランド店舗が入居した。かつては京都の金融中心だった四条烏丸も今では商業色が強くなってきている。町は時代とともに変わっていく。京都という町はその繰り返しで歴史を積み重ねてきた。まるで、テレビゲームのシムシティのように。