東奔西走 2005冬
 

2005年2月、あちこち小刻みに出かけることが多かった。出張の時は早朝の電車で出かけて近くの町を歩いた。六甲山北麓の三田周辺、東京のベッドタウン所沢、千葉外房の町、近代開発された別荘地熱海など、「東奔西走2005冬」と題してもろもろの印象をレポートする。
三田(兵庫県三田市)
羽田発6:35発JAL便で伊丹へ飛び、JR三田駅には9時過ぎに到着した。三田駅は旧市街から離れているが、こういう場合必ず旧市街に向って商店街が伸びている。その商店街を抜けると武庫川の橋で、対岸に古そうな町並みが見えてきた。
三田の古い町並みは今来た駅前商店街とは90度の関係にあって神戸電鉄三田本町駅から西に一直線に伸びる通りが軸となっている。さらに、その軸に平行した武庫川沿いの通りや直交する南北の通りにも古い町並みが見られる。主軸となっている本町通りには伝統的な町家も見られるが、どちらかというと「昭和の商店街」を色濃く感じる町並みだ。この通りの西の端に洋風町家があって文化財として公開されている。他に見られない珍品だ。
道場(兵庫県神戸市)
生瀬宿から三田を経て篠山へ向う京街道。道場は古くは道場川原と呼ばれた京街道の宿駅のひとつである。道場は神戸電鉄神鉄道場駅が近く、JR福知山線の道場駅は遠いので注意が必要だ。
神鉄道場駅前にはいきなり古墳のような山があり町並みは全く見えない。この山を巻くように歩いていくと県道に出る。県道の向こうに綺麗な瓦屋根が見える。そこが町並みの始まりで大きな民家が残っていた。県道で川を渡ってすぐ土手を右に曲がると道場の町並みが本格的に始まる。橋の架けかえでかつての町並みの繋がりが分断されてしまったようだ。
道場は丹波らしい妻入の町並みが特徴との前情報であったが、そのような民家は少なく、むしろ平入りの方が目に付いた。ここも生瀬や三田同様、阪神大震災でダメージを受けたようでサイディングボードで壁が覆われた民家が多い。

所沢(埼玉県所沢市)
三田へ行った翌週の金曜日、埼玉県の所沢を歩いた。「所沢に町並み?」と言われるかもしれないが、所沢は秩父方面に行った帰りに良く通っており古い町並みが残っていることは知っていた。だが、昨今の再開発で消滅しつつあるとも聞いていた。
所沢駅から商店街を抜けると街道沿いの旧中心地。そこには新しい高層マンションが次から次へと建設されている。その足元で最後の命をともしている出桁造りの商家がまだ数棟あった。どのマンションの低層部も瓦屋根を用いたデザインになっているので古い町並みの歴史継承をしているつもりなのであろう。おそらく町家の1,2棟は残されるのではないかと推測するが、もし本物がなくなってしまうとすればマンション低層部の瓦屋根の意味がわからなくなってしまう。

長南(千葉県長南町)
週末、昼過ぎから千葉方面へ走り出した。房総半島はなだらかな丘陵地で何てこと無い風景がひたすら続くがドライブしているといたって面白い。房総半島の丘陵地の真ん真ん中に長南というなんとも気が抜ける名前の町がある。何処に紹介されているわけではないが、明治初期の地形図と現在の地形図を見比べて市街地の大きさが変わっておらず周りの開発もされていない(ゴルフ場は別)ようなので、これは残っていそうだと目星を付けていた。予想は的中し、古い町並みが残っていた。とはいっても飛び飛びに古い町家がある状況だが、期待していなかっただけに逆に評価は上がる。屋根の出が極端にでっかい出桁造りや蔵造りなど、東関東らしい町並みである。

上総一宮(千葉県一宮市)
房総半島を横断して外房の海の方へ走る。上総一宮は町並み紀行で紹介されていた町並み。愛知の大学の先生が関東のこんなマイナーな場所まで歩いているとは恐るべしである。
旧街道はそのまま現在の幹線道路になっているので、古い町家の残存率は低いが、大きな商家が数軒古いままで残っていた。千葉県というのは江戸東京を控えて農業で栄えた場所。実は隠れた町並み残存エリアなのである。千葉を旅すると意外な町並みを発見する機会が多い。
片貝(千葉県九十九里町)
もう暗くなってきた。一宮から急いで九十九里町へ向う。もったいないが時間を金で買って海岸沿いの有料道路を走る。急いで到着したにもかかわらず、九十九里町片貝では町並み探索に一苦労した。海岸沿いの有料道路から一本陸側に入った県道を走れど町並みはなし。見る見る暗くなってくるし家族は海を見せろとうるさいし焦ってくる。行ったり来たりしてあきらめかけた頃、ためしに脇道に入ってみた。車がようやく通れるほど狭い路地。そこを抜けると、さらにもう一本陸側に入った通りに出た。なんと町並みはそこにあった。丸太をそのまま2本立てた門柱に一軒一軒手の込んだ造りの民家がゆったりと並んでいる。洋風の医院もある。九十九里地方の中心集落らしい平地の町だった。
暗くなって東京へ向う途中、東金を通ったら一宮以上に古い町家がありそうな雰囲気だった。
板橋(神奈川県小田原市)
外房へ出かけた日曜日の3日後、湯河原と熱海へ戦前に造られた別荘建築を見学に行った。これは仕事の一貫である。しかし、せっかく湯河原まで行くので、毎度ながらその前に早朝発って小田原市板橋と真鶴を歩く。小田原駅ホームに降りたとき突然の土砂降り。箱根登山鉄道は古い電車そのままで相変わらずの良い感じ。強羅まで乗って行きたいが一駅目の板橋で下車する。それでもまだ土砂降り。止む無しコンビニで1000円傘を購入。
5分ほど歩くと旧東海道に出た。相模名物の派手目の出桁造りがまず迎えてくれる。東京寄りの端まで行ってから町を歩く。他にも出桁造りの商店や洋風の医院が建っているが、町の終わりのほうで黒く塗り込められた出桁塗屋造りが出没してドキッ。片側に蔵、片側に袖卯建を上げて軒を段々に漆喰で固めている。西の端まで歩いたところで雨雲がどいて日が差し込んできた。箱根の山の方向から東に向ってすごい速さで雲が流れている。

真鶴(神奈川県真鶴町)
小田原へ戻って東海道線で真鶴へ向う。真鶴半島は観光地で、何度か海の幸を食べに訪れたことはあっても町は歩いていない。特筆すべき町並みがあるわけでも無いとわかっちゃいるがリストアップされている以上、歩かないわけには行かない。
尾根筋の道路は眼下に真鶴の町を見下ろしながら大きく回り込んで港へ降りていく。古い道はそんなかったるいことはしないから直接港へ下っている。U字谷に形成された集落は等高線なりに曲線に並んでおり、港に下る道が古い商店街だったようだ。わずかに古い町家があったに過ぎないが雰囲気はある。港には大きな貨物船が入港していた。
熱海(静岡県熱海市)
さて、ここからは仕事の一貫である。湯河原の戦前の別荘を見た後熱海へ行った。熱海の別荘地は昭和10年頃開発され、現在の大企業の創設者らが所有していた別荘がたくさん建っている。しかし、それらの多くは元の所有者の手を離れ、彼らが創設した企業が所有しているか、別の所有者に渡っている。売り出されてマンションなどに建替られたものも多い。
旧国道から鋭角に折れるとものすごい急坂。フルブレーキでも止まらないほど。だがそこは石畳が敷き詰められており由緒ありそげではあるまいか。やがて白いモダンな館が現れた。野村證券所有の旧別荘建築は相模湾を臨む絶好のロケーションである。今、熱海の別荘群が掘り起こされつつある。数年後、町並みとしてメジャーになっている場所であろう。
この日の天候は激しく、朝の豪雨の後は強風が吹き荒れた。どうやら春一番だったらしい。