下野紀行
 

今年の桜開花は観測史上で最も遅かったという。わが家の前の目黒川(東京都目黒区)の桜は4月6日の夜が満開だった。そんな桜の季節の週末、子供がどこかにつれて行けと騒いでいる。私としては先月の備後路と平日の仕事で疲れた身体を癒したいところである。でも、家族のリクエストに答えないわけにはいかない。
東京の桜が水曜日に満開を迎えたとあれば、北関東ではこの週末が丁度良いはず。となれば栃木行きたい。行ってない集落町並みも多い。
だが、家族は集落町並みを歩く気は全く無いのでなにかイベントを組み入れなければならない。栃木といえば益子焼がある。益子には陶芸教室があって陶芸体験できる。家族も「やりたい!」と乗り気だ。しかも近くには訪れたことのない町が集まっていて家族が陶芸を楽しんでいる時間にこっちは町歩きが可能だ。見事に交渉が成立した。
佐野(栃木県佐野市)
桜満開の週末にしては東北自動車道はやけに空いている。利根川を渡って佐野藤岡インターで降りた。
佐野はちょくちょくラーメンを食べに来る町である。町並みのほうは横目で大したことなしと判定を下していた。しかし、今回改めて歩いてみてなかなか残っていることがわかった。碁盤目状の町は道幅が広く、新しいが戦前の民家が結構残っている。確かにいままで低い評価を下してしまっていた訳は目抜き通り(日光例幣使街道)だけを見ていたためで、碁盤目状の町の中に見所が分散している。
佐野の町並みは、出桁造りと黒漆喰の目立つ町家は関東ならではのものである。
真岡(栃木県真岡市)
佐野を後にし時間節約で東北自動車道→北関東自動車道で真岡へ急ぐ。高速に乗ってから佐野でもう一箇所いく予定にしていた町並みがあったことを思い出した。日光例幣使街道の大伏宿である。時すでに遅し。
真岡は水戸線の下館茂木間を走る真岡鉄道の中心駅。SLが走る鉄道として有名で駅舎がSLの形をしていてびっくりさせられた。真岡は駅と旧市街の間に城山へ続く丘が挟まっていてちょっと変わっている。ゆえに町並みの場所が容易に絞り込めず、結局町の全体を歩くことになってしまった。
城山の周辺は桜が満開で多くの人が花見に訪れていた。
茂木(栃木県茂木町)
真岡で惑わされたため益子の陶芸教室には予約時刻ぎりぎりで滑り込んだ。ここで女房子供を降ろす。自分も陶芸はやってみたいところだが、古い町並みと違って陶芸教室は無くならないので町並みを優先だ。真岡鉄道に沿って北東へ進む。途中、国道の対向車線が変に渋滞しているなあと思ったらSLの上り列車がやってきた。見物渋滞である。真岡鉄道の終点、茂木は最近では「ツインリンクもてぎ」で有名になった町。年に一度、国際選手権のカートレースが開催されている。
町並みのほうはというと城址が見下ろすL型の旧街道に町家がポツポツと残る。中でも味噌屋と酒屋が向かい合う場所が一番の見所であろうか。
益子(栃木県益子町)
益子の陶芸教室に戻る。女房と娘はすっかり陶芸にはまっていて、皿やコップを5つも作成していた。私も色付けを手伝って仕上げ。一ヶ月半後に焼きあがって送られてくるというが、果たして割れずに焼けるのであろうか心配である。
おっと、陶芸に時間をとられてしまった。益子の町に来たもうひとつの目的を果たさねば。
益子の旧市街は農家形式の家が並ぶもので草葺の大きな民家が何棟も残っている。農業というよりは産業で潤ったのであろう、門や塀で囲まれた立派な屋敷が目立つ。
久下田(栃木県二宮町)
益子の次は最後の訪問地二宮町であるが、真岡鉄道に沿う国道は交通量が多いのでショートカットして田園の中を走る抜け道を選んだ。すると益子にあったような長屋門を備えた大きな農家がたくさん見られるではないか。それらを見て歩きたいと思ったが今回は時間が無いのでチェックだけいれておく。
車を銀行の駐車場において旧街道沿いの町を歩く。台地の上の背骨を街道が走っていてそこに面して町が形成されている。しかし、予想に反して古い町並みは残っていなかった。歩いていると背中に薪を背負って本を読んでいる石像が現れた。どこかで見たような・・・。そうか、二宮町はその名のごとく、二宮尊徳ゆかりの地だった。
久下田からは真っ直ぐ南下し、下館・下妻を通って谷和原インターへ出、常磐道で東京に戻った。首都高では箱崎の渋滞も無く至って順調であった。
しかし、桜満開の週末だというのにどうしてこうも高速道路が空いていたのであろうか?不思議である。そういえば、正月休みやお盆休み、ゴールデンウィークの次の週末というのはこういった現象が過去にもあった。おそらく春休みの次の週末ということで出かける人が少なかったのであろう。長期休みや連休の次の週末というのは穴なのかも知れない。