志度(香川県さぬき市) |
走り初めて真っ先に思ったことは、四国の車のスピードが上がったこと。そして無謀なタイミングでの合流が多いこと。本四架橋以後道路整備が進んだゆえの現象か。これは気をつけなければならないと言いきかせながら国道を志度へ向う。
あたらしい「さぬき市役所」に車を置いて一直線の町を真ん中からスタートして歩く。志度は町並みとして期待していたがさほど残っていない。漆喰の美しい平入の町家が残ってはいるものの軒を連ねていないのが残念である。所々に大阪名物「ごっつ卯建町家」系の家が見られる。同じく高松に近い仏生山にも結構見られたので、香川県は大阪文化圏との繋がりが深いのであろう。
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長尾(香川県さぬき市) |
志度から南へ溜池の多く見られる丘を越えると長尾の町である。最近志度町と合併してさぬき市となった。長尾は田園の中、東西一直線の町で第87番札所の長尾寺がある。何処に町並みがあるのかまずは車で端から端まで流し確認。長尾寺の近くに古い町家や旧銀行と思われる近代洋風建築が残っている場所があり、旅館や料亭もあってそこが核心部と判定。しかし周りにはあまり残っていない。四国は昔から八十八箇所巡礼観光が盛んであったため、お遍路路に古い町並みが残っているという法則があるのかもしれない。 |
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宇多津(香川県宇多津町) |
長尾からは高速道路に乗って高松の町を通り過ぎ西へ進む。「いらかぐみ」の孫右衛門さんが見つけて紹介していた宇多津の町を訪れる。宇多津といえば坂出とともに瀬戸大橋の付け根の町。橋が出来たあとの開発や海岸線の工場地帯が印象に深いが古い街道沿いに町並みがあった。海に近く海水面と同じ川が町中を流れており、その橋の西側が網の浦、東側が新町であるが、橋の前後にいい町並みが展開している。特に新町の鉤曲がりのところは絶品の町並みであった。
網の浦の遍路道に面してお地蔵さんがあり、その前に名物地蔵餅の店がおいしそうにあったので団子を買って昼飯にした。すべてあんこ入りの団子だとつらいが赤飯があったのでしめしめ。 |
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多度津(香川県多度津町) |
さらに西へ進む。多度津は数年前、岡山から島づたいに渡ってきて着いた場所である。その際タクシーで駅に出たが市中を走らせて町並み確認をして特に無しとの判定を下していた。しかし、ここにも「あるぞ!」いう情報があったため再訪とあいなった。航空写真であたりをつけたところは大したこと無し。駅から離れた一直線のアーケード商店街があって「もしやここか?」と訪れたらとっても良い町並みが!。この本通り商店街は、アーケードや看板がはずされていた。多度津はかつて神戸との間で連絡船が通っていた四国の玄関口でだそうで、四国での鉄道発祥の地という。ここを起点に予讃線と土讃線が始まっており、大正3年まで港近くに駅があった(現在JR四国の操車場)。つまり本通商店街は鉄道以前の時代、港から土佐(金毘羅さん)へ向う街道であり、鉄道開通後は駅前通りとして栄えたのだった。 |
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家中(香川県多度津町) |
多度津は城下町でもある。外堀のような川を挟んで西側が町人町、東側が武家町であった。武家町にあたる家中地区には武家屋敷町らしく門や塀をめぐらした屋敷構が残っている。
旧多度津駅はこの家中地区の端っこにあって、かつての駅前から家中の住宅街へ伸びる通りにはそれらしい町並みの跡が見られるが、その途中に面白い一角があった。JR四国の門のそばに近代洋風の個人病院建築が向かい合っている。そのひとつの装飾が結構濃い。普通通り側だけがんばるものだが、この家は三面の壁に同じくらい力を入れてデコレーションしていた。近代建築マニア必見のお宅である。 |
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善通寺(香川県善通寺市) |
多度津から土佐街道を南下する。善通寺は「日本の町並みU」で軍都として紹介されている町。整然とした町はあまり見るべきものはなさそうだったが、町の外れの駐屯地にある煉瓦建築が見所である。眺めのいい大通りを挟んだ駐屯地の東側にT字状に3棟の煉瓦建築が建っており、内2棟が通りに面して町並みを形成している。大通りの先には善通寺の塔がそびえている。そう、この通りは善通寺の参道の延長なのである。寺の参道に面して構えた駐屯地。讃岐平野の広い空のが印象的な軍都であった。 |
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琴平門前(香川県琴平町) |
琴平は四国きっての観光地。あらゆる路が金毘羅さんを目指している。しかし、観光地と呼ばれると行く気を削がれる習性が私にはあるためいままでなかなか訪れる機会が無かった。今回は是非とも訪れようと意を決して1日目の最後に組みこんだ。参道には夕方だったので観光客はまばら。したがって、町並みがよければ印象点は上がる。参道には酒屋や旅館、うどん屋やみやげ物屋が連ねるが、さすが歴史ある観光地、なかなか重厚な建物が多い。そしてなんと言っても町並みが石段と共にどんどん上っていくのが面白い。印象点も上って☆☆☆☆☆だ。 |
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琴平(香川県琴平町) |
琴平は門前の町並みだけではない。金毘羅さんへ向う街道沿いにも町並みが形成されている。阿波国に通じる街道沿いに形成された阿波町。高松へ通じる街道に形成された榎井の町並み。観光客は全く訪れない旧市街の佇まいであるが古い町家が今でも残っている。阿波町の金倉川にかかる鞘橋は珍しい木造のアーチ橋(明治2年、明治38年移築)で現在は神事でしか渡ることが出来ないが、金毘羅さんへ通じる歴史の道を感じる重要な建造物である。 |
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1日目は琴平で日が暮れた。今日は夜9時までに室戸に到着すればよい。ゆっくりと一般国道32号線を高知へ向って走る。大歩危小歩危のあたりで前方の山に点々と明かりが見える。天界の村のひとつ、池田町川崎の集落である。思えば15年前、祖谷山を訪れた後高熱を出して高知までやっとの思いで辿りついたことがあった。そのときこの道をヘロヘロになりながら走ったことを思い出した。
高知のファミレスで食事を済ませたところで室戸岬の国民宿舎から電話が入った。10時門限だという。軽く間に合うと思ったがそこから70kmが遠い遠い。室戸岬の上の山の天辺に建っている国民宿舎に到着したのは10時10分前であった。 |
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室津(高知県室戸市) |
国民宿舎で朝起きると外でガタガタいっている。風が強い。テレビをつけて天気予報を確認するとなんと雨。昨日は上天気だったのに太平洋で低気圧が発生したそうだ。今回のメインである吉良川が雨、トホホである。宿舎の玄関を出たところで持ってきた安物の折りたたみ傘がいとも簡単にぶっ壊れた。遠くで風車が勢い良く回転している。山道を室戸市の中心部へ向って下る。厚い雲で覆われた暗い朝、雨足が強くなってきた。コンビにで傘とサンドイッチを購入し早くも作戦タイムだ。
室津は港町だが高潮に備えて深い護岸である。入り江に面して水切瓦の付いた民家が見られる。南国だというのにあ〜寒い!。 |
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吉良川(高知県室戸市) |
吉良川は高知県のしかも室戸岬近くにある東京から行くにはとってもとっても遠い場所。せっかく遠くからやって来たというのになんと言う悪天候で迎えてくれたことか。駐車場の車から傘をさして出るのも大変。自分が濡れることよりカメラをかばっての町並み散策となった。しかし、天候とは反対に町並みはすごく良いではないか。風雨の強い地域だからこをこのような特徴ある町並みが形成されたのであろう。漆喰壁を守るように発達した水切瓦をまとう民家形態。なかなかカッコ良い。表通りから路地に分け入ると家々が建て混まなくなるので防風の石垣(いしぐろ)が屋敷を囲む。
水切瓦は雨水を拾ってくれるので、雨水が壁を伝っていないのが良くわかった。「この悪天候のおかげで水切瓦の機能が確認できてヨカッタ」と無理やり納得するしかなかった。
吉良川からは岬を廻らずとも甲浦方面にショートカットできるがここまできて岬を廻らないわけにはいかない。室戸岬の先端はうれしいことに道路が先端の海岸線をグルッと廻っているので車から降りずに室戸岬が確認できた。靴の中は雨水でびしょびしょ。とても降りて傘差して歩く気になどなれない。 |
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甲浦(高知県東洋町) |
甲浦も有名ながらなかなかいけない場所にある町並み。航空写真でしっかり入り江沿いの町並みを確認しておいた。甲浦の隣の白浜地区に直線状の町があったが大したこと無しと判断し通過。甲浦の港に着いたときは雨も上がりかけていた。
甲浦は美しい入り江の町。金毘羅さんあり、石垣の護岸あり、木造3階建ての旅館や下見板張りの洋館もあり、外海に面しながら入り江であるため水面の静かな港町である。気分良く歩いてみたもののなんとなく建物に物足りなさを感じたが・・・。家に帰ってから文献を見たらなんと紹介されていた町並みは隣の白浜地区の直線状の町ではないか。「ぶっちょう」というミセ造りの町並みとか言って「甲浦」で紹介しているではないか。くそ〜っ、紛らわしい紹介の仕方!。見損じてしまったではないか。また行かなきゃならない、室戸岬まで!。雨に濡れた吉良川の町並みが「天気の良い日にまたおいで」と呼んでいるのであろうか。 |
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鞆浦(徳島県海部町) |
甲浦を見損じたとはつゆ知らず、天候がよくなってきたことに気をよくして海岸線を北上する。海部町の奥浦には大した町並みはなくさらに奥の鞆浦へ向う。鞆浦はちょっと不思議な漁村集落である。漁村といえば家屋が建て混んでいてゴチャゴチャしているのが常だがここは違う。海岸線に対して垂直にとられた規則正しい3本の細い通りに面して町が形成されている。通常の漁村が地形に沿って形成されているのに対してここ鞆浦は明らかに計画的に作られた感がある。甲浦で見損じた「ぶっちょう」のあるミセ造りの民家が建ち並んでいる。 |
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出羽島(徳島県牟岐町) |
出羽島は牟岐港から船で渡らなければならない。便数は多いが2時間おき。実は出羽島往復の定期便の時間を軸に今回の旅のスケジュールすべてが組まれていたのだ。予定通り牟岐港の船着場には余裕をもって到着した。時間があるので車のヒーターをガンガンに焚いて靴と靴下を乾かしながら船の出発時間を待つ。
出羽島は牟岐港から15分と近いが黒潮の影響で温暖な島。遠くに雪をかぶった剣山を眺めながら島内には亜熱帯植物が生えている。車の無い島は日本に残された最後の集落。車を通すための改変の無い集落空間は本当にいい。家々はやはり「ぶっちょう」のあるミセ造り。手の込んだ格子や欄間、2階手摺が特徴である。
裏山の段々畑(昔は田んぼ?)を上ると集落が一望できる。「やっぱり島はいいなぁ」 |
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椿泊(徳島県阿南市) |
牟岐港に戻って今回の旅の最終目的地、椿泊を目指す。椿泊は紀伊水道に突き出した半島の先端で、阿波水軍の根拠地であり、約2kmの海岸線に沿って連なる漁村である。椿泊に向う道はどんどん細くなり、集落の入り口では「本当ここ入っていけるの?」というくらい狭い。しかし向こうから車が来るので行ける筈。がんばって入っていくことにした。それにしても道は狭く3ナンバー車は無理、そうでなくても相当の腕が要求される。でも道路は車のために広げるようなことはしていない(所々に退避帯あり)ため町並みはそのままである。したがって2kmに渡る超長〜い町並みはとってもGOODなのである。本瓦でバルコニーがついた木のぬくもりを感じる民家が延々続いていくという独特な空間である。運転に自信の無い人は手前の小吹川原集落に停めて歩いて入る事をお薦めする。 |
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