六本木、麻布、小山町(2003.05.04) 

今年のGWは最悪のパターンで、週休2日の人であれば単に月曜日が休日となった場合と同じである。さらに、私は月曜日に休日出勤となってしまったので、いつもの週末と変わらない。先週の南九州紀行でお金も使い果たしていることだし、どこに行く事もできないので、こういう場合の定番「東京めぐり」に出かけることとした。
森ビルによる六本木6丁目の再開発(通常ロクロク)が終わり、「六本木ヒルズ」が先週オープンした。集落町並みWalkerとしては、古いものばかりではなく新しい町並みも歩かなければならない。大変な賑わいを見せていると報道されているため、六本木方向からはアプローチせず麻布十番から方向から近づくことにした。

麻布十番
東京の下町というと浅草や日本橋を思い浮かべる。東京の前身である江戸は、武蔵野台地の先端に江戸城が築かれ、その廻りに
町が形成された。そのため、町は台地の上と下の両方にまたがり、上を山の手、下を下町というのは言わずと知れたことである。しかし、この台地は、先端であるため小さな川に刻み込まれていくつかに分かれている。つまり、一言でいうと、東京の地形はいくつかの台地と谷+海側の平地からなっている。従って、下町は海側の平地のみならず、台地と台地の間の谷間にも入りこんでいるのである。
麻布十番もその一つで、丘の上の武家地の間に入りこんだ谷間の町人地がベースで、商店街は今の六本木交差点から一ノ橋に下る古い通りに沿っている。数年前まで、地下鉄も無く、六本木の裏っ側のひっそりとした町だった。ところが、地下鉄の開通で脚光を浴び、六本木ヒルズの完成でさらに変わろうとしている。一ノ橋の麻布十番駅で地下鉄を降りて、商店街を歩いていった。六本木ヒルズの影響で、裏側と言ってもすごい人並である。町並みはほとんど中層化しているが、谷間らしく通りから一本入ると坂道と崖線の緑である。進んでいくと六本木ヒルズの森タワーが正面に見えてきた。丘の上の住人の買い物町として営んできた麻布十番は、これからは六本木ヒルズの門前町として外来者も相手に商売する町としてさらに変わっていくであろう。

かつては丘の上の住宅地の地元住人を相手に営んできた麻布十番商店街も、これからは六本木ヒルズの門前町として、外来者の商業地として発展することとなる。

正面にそびえる森タワー。丘の上の武家屋敷跡は、オフィスと高級マンションとして超高層化した。写真右手は有名な麻布十番温泉。

今話題の自転車タクシーが町を行き交う。坂でもアシスト付きなので上れる。それでも遅いので、後ろいでエンジン付き四輪車がイライラしていた。

谷の麻布十番から丘の六本木ヒルズを臨む。
 

六本木ヒルズ
麻布十番商店街を抜けると、六本木交差点から下る芋洗坂と環状道路
との交差点に至る。いままでなんてことの無かった交差点が、六本木ヒルズのけやき坂の入口というメジャーな交差点に生まれ変わっていた。人ごみが影響してか渋谷109の前の交差点のような印象だ。けやき坂は東から西にかけて六本木ヒルズを貫通する坂道で、テレ朝通りに至る。起伏と緩やかなうねりによって、町並みに(通りに)奥行き感が出ている。けやき坂の両側には店舗が並び、東京の新たな話題のストリートとなりそうだ。町並みは、ライムストーンを使った外装で統一感を生んでいた。
しかしながらとてつもない人人人である。先週、甑島の静かな漁村を歩いてきた私としては、ちょっと絶えられない。足は自然と元麻布の住宅地へと向かっていた。六本木ヒルズの町並みについては、ほとぼりが冷めたころ、改めて訪れたい。

六本木下の交差点。正面のビルの右側の道は六本木交差点へ上る芋洗坂で、江戸時代からある古い道。何でもなったこの交差点が、とってもメジャーな交差点に変貌した瞬間である。

六本木ヒルズの地図。下端真中が日比谷線六本木駅。左上が麻布十番商店街方向。左下隅が六本木交差点方向。右縦がテレ朝通り。
左が谷で右、上、下が丘といったすり鉢地形。
下のオレンジ部分が森タワーとテレビ朝日で、横切る緑の通りがけやき坂(新道)。けやき坂の上が高層住宅。赤枠の部分が「けやき坂コンプレックス」という、商業が並ぶ町並み。

けやき坂を谷方向から見る。緩やかにうねって上る坂のため、通りの奥行き感がある。

けやき坂沿いの町並み。住宅棟の足元2層に店舗を配置し、ライムストーンの外壁で統一感をだしている。

けやき坂に面するオフィス。赤いテラコッタ外装がタワー部の共通素材。

中庭に面する商業施設。チョコレート屋に客が並ぶ。

オフィス棟の森タワー。手前の低いのがホテル。

イベントスペース。

超高層住宅棟。赤いテラコッタ外装が印象的。

麻布
麻布というエリアは、江戸時代から存在し六本木を含めた広範囲な地域の総称で、武蔵野台地の先端台地のうちの一つである。古川と六本木通り、外苑通りに囲まれた一帯で、江戸時代の武家屋敷、明治以降の住宅地である。六本木ヒルズを出て住宅地に入ると今までの人ごみがうそのように静かな街になる。それでも、六本木ヒルズからの人がちらほら歩いている。恵比寿ガーデンプレイスの場合、完成後、周辺住宅地に違法駐車が増えたり店舗が出来たりした。原宿までいくと住宅地と商業地のイメージが逆転した状態だ。麻布の住宅地がどう変わってしまうか心配ではある。しかし、地形というものは大したもので、崖線の上下をつなぐ動線は古い坂道に絞られ、坂は人の行き来を自然に拒むので、結果的に商業店舗が崖線を越えてなかなか延びてこないのである。私の住んでいる目黒では、丘の上の駅と近くの目黒川とが30mの段差のため、駅前商業地の店舗が崖下に延びてこない。この微地形と用途の入り組んだ都市空間が、江戸東京の特色であり歩いて面白いところだ。

大きなお屋敷は南アフリカ共和国大使公邸。かつての邸宅が大使館施設に利用されているのも麻布の特徴。しかし、建替えられてマンション・オフィス+大使館施設の開発がどんどん進んでいる。

元麻布2丁目5の崖線上の住宅。この奥はかつての邸宅で、現在敷地分割されて一族が住まわれている。

元麻布2丁目6の丘から、本光寺のある谷を越して六本木ヒルズを望む。本光寺の辺りはまさにすり鉢状の谷で木造住宅密集地が残っている。この景色も10年以内に変わると思う。

麻布の麻布山にはお寺が集まる寺町。写真は浄土真宗麻布山善福寺。(平成10年撮影)

麻布山へは坂が集まる。写真は暗闇坂で、麻布十番の谷方向を見る。(平成10年撮影)

仙台坂を下りきった二ノ橋にある浄土真宗福泉寺。(平成10年撮影だが、現在もある)

元麻布2丁目の住宅地から元麻布ヒルズを見る。つい5年前は空き地と古い住宅があった。この形が悪評を呼んだが、私は違和感はないと思った。

仙台坂の国際家畜病院。既になくなったかなと思い立ち寄ったが残っていた。ここが変わるのも10年しないだろう。

小山町
麻布から古川を渡ると三田である。港区三田一帯は、丘に囲まれた谷地という地形から戦災を免れた地域である。日比谷通りの東側の芝2丁目は再開発が進みかつての面影は無くなってしまったが、日比谷通りと古川と綱町の丘に囲まれた三田小山町には戦前の町並みが残っている。江戸時代は大和郡山藩松平の下屋敷で、明治以降町になった。東西の何本もの路地に面して住宅が密集する。一ノ橋から古川の南側に沿って東に進む大通りから町に入る比較的広い通りの近辺に、近代建築がちらちら残っている。町の最奥にグレーの煙突を上げた小山湯があり、小山町町並みのメインスポット。空き地も目立ち始めており、いよいよ古い町並みとしては最期の段階を迎えようとしている。


町の最奥部の細い道に面して比較的大きな銭湯建築小山湯がある。中に入らなかったが2階は大広間のようだ。地元のお年寄りが結構出入りしていた。

古川に並行の通りに面した戦前の町家。最も左の家は無くなっていた。(平成10年撮影)

東西の通り。通りに面して住宅が密集する。
大通りから町に入る、なぜかバチになっている通り(写真奥に行くほど道幅が狭い)。近代建築や町家が並ぶ。