下野大谷石紀行 壬生・大谷・徳次郎西根・日光 (2004.09.20)
 

栃木県宇都宮周辺は凝灰岩の「大谷石」建築や集落が多く見られるところ。15年ほど前、宇都宮周辺になぜ石蔵が多いのか農村部を手当たり次第に廻ったことがある。後でそんなことは有名な場所だとわかったが、宇都宮の大谷石でできた教会や徳次郎町の大谷石集落など訪れていなかった。
今回、大谷の再訪もかねて、宇都宮周辺の町並みを「大谷石」をテーマに訪ねた。

 
壬生(栃木県壬生町)
壬生は明治前期の地形図を見ながら歩いた。明治前期は農地の中の街道に沿って一直線(中間に桝形あり)の町という状態だが、現在でも周辺環境は変わっていないと思われるほど、辺り一面に畑である。
壬生は、今回のテーマの「大谷石」と特に密接な関係があるわけではないが、街中に見られる蔵は下野地方の特徴である大谷石蔵が多く見られた。ここから宇都宮に近づくに従い、風景の中で占める大谷石の割合が増えてくる。
大谷(栃木県宇都宮市)
大谷の町に入ると石でできた建物がぐっと増えてくる。それらの殆どは石材業を営む家であり、家そのものが大谷石のショールームでもあるため、造りには力が入っている。
大谷の一帯はすべて石切場であり、刻まれた山があちこちに見られるが、一方で地下も採掘による抗道が巡らされている。その中に一般公開されている抗道「大谷石資料館」があり、その洞窟のスケールは大迫力の必見もの。
大谷の町には、岩に食い込んで造られた割烹旅館もみられ、明治以降の繁栄ぶりが伺える。
徳次郎町西根(栃木県宇都宮市)
大谷石と同質の凝灰岩は大谷以外でも産出している。徳次郎町西根も近在に石切場があってそこから切り出した石による石づくしの集落である。
大谷石はやわらかく、多孔質で色も暖かいため、集落を抜ける通りはなんともいえないやわらかい雰囲気の空間である。窓周りや軒、庇に凝った意匠が見られ、それぞれちょっとずつ違う。この全体としての統一性と個々の家の主張による総体が集落の魅力につながるのだと改めて感じる。
大谷から宇都宮の材木町までかつては大谷石を運ぶ鉄道が敷かれていた。宇都宮市内でも蔵をはじめ教会などに大谷石が多く使われている。
宇都宮の町並みを見ようと、戦災地図で焼けていない東武鉄道より西側の地域を、航空写真(昭和53年)も駆使して確認しながら車を流した。しかし、戦災から免れた地域も道路の拡幅などが進んでおり、残念ながら古い町並みは残っていなかった。
そんな宇都宮を後にし鹿沼に向う。鹿沼には旧下野麻紡績工場のノコギリ屋根大谷石壁の建物があってそれを見に行ったが、市の文化施設公園とイトーヨーカドーになっていて残されていなかった。しょうがないので、日光例幣使街道の宿場町エリアを車で流してみたがポツポツと商家が残っている程度。市の西には大谷石と同質の石切場があるというので行ってみたが刻まれた山がある程度。
宇都宮と鹿沼については、涙を呑んでデータベースから削除することとした。ごめん!
日光(栃木県日光市)
鹿沼から日光例幣使街道の並木道(国道121号線)を走る。この道はずっと並木が続くので大好きである。しかし、なぜ江戸時代の街道の幅がそのまま現代の2車線道路になれたのか、いつも不思議に思う。
日光は今回初めて歩いた。町並みとしてはあまり残っている部類ではないが、明治期以来の国際観光都市であるため建物の造りに和風が強調されていて面白い。最後、金谷ホテルに上った。木立を抜けて真っ白な建物が見えるシークエンスはすばらしい。1階の柱や内装の一部にもさすが栃木県、大谷石が使われていた。