松本(2004.02.11)
大学時代の4年間、私は信州の集落町並みばかり歩いていた。それは「探訪」でも記載している通り、学生でも自由に海外旅行いける時代にあえて国内の一箇所にこだわってみようと考えたからである。そんな偏屈な4年間の信州紀行の最後に「下栗」集落に出会って本格化したのであるが、今年で集落町並み探訪をはじめて20年が経った。そして、探訪箇所数も1000箇所に到達した。しかも、もうすぐ満40歳の誕生日を迎える。ということで、探訪人生の節目の地として、我が誕生日に最も好きな信州の町「松本」を旅することにした。
松本は、信州に行った際、必ずといっていいほど立ち寄る町であり、定年退職後は移住したいと思っている町でもある。しかし、そんな町に限って「集落町並みWalker」としてちゃんと歩いていない。それが証拠に、写真のストックの中にろくなものが無いのである。
かつて、狩人というグループの「あずさ2号」という歌が流行ったが、その歌詞のごとく「8時ちょうどの〜あずさ3号で〜」新宿駅を発った。駅のアナウンスも「8時ちょうどのあずさ3号南小谷行きで〜す」と言っており、あの歌以来の伝統のアナウンスとなってるのだろう。
西東京の住宅地を抜け、桂川の谷をくねくね走って笹子トンネルを越えると甲府盆地となり、車窓の視界はぱっと開ける。天気は最高で南アルプスと八ヶ岳連峰はバッチリである。茅野では寒天づくりの光景が見られ、諏訪湖は凍っていて5年ぶりに現れた「御神渡り(おみわたり)」も見ることができた。
南アル甲斐駒ケ岳(長坂付近)
いよいよ、塩尻トンネルを抜ければ安曇野平野である。この瞬間はいつも緊張する。北アルプスが見えるかどうかに心が躍る。南アルプスがどんなにきれいに見えていても北アルプスに裏切られたことは数多い。トンネルを抜けるとそこにはずべてを横たえた北アルが出迎えてくれた。一瞬涙ぐんでしまった。これはもう松本の城山公園に上って北アルと安曇野を拝まなければならない。しかし安心してはいられない。松本着は10:40と遅い。10時を過ぎるとどんどん雲が上がり、下手すると昼前には山が見えなくなってしまうからである。心が焦る。
松本駅に到着した。東京から2時間半、スーパーあずさは速い!
松本駅ホームにて
さて、約5時間、どのように松本を料理してやろうか。なるべく早く城山公園に上ることを考えて、松本城を中心にして時計回りに歩き回ることとした。
まずは目抜き通りである本町通りへ、街路整備を終えた公園通りを歩く。パルコができてから商業の中心として発展した公園通り。「いちやま旅館」の脇の白壁の景観は松本で最も好きな場所であったが今はもう見ることができない(悲しい・・・)。本町通りはアーケードが外されすっきりしていた。アーケードの撤去は全国的に進められている。もともと、市街地の商店街に全天候対応のために設けられたアーケードだが、商業中心がバイパスへ移動し寂れてしまったため、再度人集めのための町並み景観を整備しているのである。全国共通した現象だ。女鳥羽川も護岸整備され、かつていた川底のアヒルの姿は無いようだ。
松本城の南西にレトロな歓楽街があったことを記憶していたので、そこを抜けて旧糸魚川街道を目指した。歓楽街には洋風の映画館があったが周りは寂れきっていた。映画館東宝セントラルの前に現役のカフェー建築が残っていた。
常念岳に向かう旧糸魚川街道の町並みを抜け、息を切らして城山公園へ上る。展望台に辿りついた時には北アル連峰に雲がかかり初めていた。ぎりぎりセーフ!!。ここで12時のチャイムが町に鳴り渡る。あと4時間しかない。蟻ヶ崎の高級住宅地を抜け旧開智小学校へ。きれいにペンキで塗り直された小学校を入場せず拝む。
丸の内の武家屋敷街を通って旧善光寺街道を北上する。古い町並みの記憶があったので訪れたが、やっぱり結構残っていた。松本ならではの1階ナマコ壁、2階シンメトリー大窓の白漆喰町家。さすがに連続していないが街道らしいいい町並みであった。
信州大学あたりまで歩いて引き返して南下する。さて、ここから今回のメインディッシュである外堀沿いの個人病院街。一軒一軒、門塀と前庭を備える洋風建築は、互いに競うように建ち並んでおり、様式も異なる。なかなか他で見たことが無い町並みである。そもそも、松本は医者の多い町で、この通りでなくても「ちょっと変わった家だなぁ」っというのは大体個人病院建築だ。
個人病院街を抜けると、先の東宝セントラルの辺りと同様、通りに看板ゲートが現れる。ここは東の映画館テアトル銀映の前で、ここから飲食・歓楽町となる。大手4丁目界隈では、戦前・戦後の町並みを隈なく探索した。中でも、旧善光寺通り沿いの大きな黒漆喰店蔵は圧巻!。川越の商家といい勝負だ。この頃になると北アルは姿を隠し、風が強くなってきた。時間が気になり焦る。
女鳥羽川を渡り中町へ。中町は明治期に大火があって、その後に建てられた蔵造りの町並みが見られる。中町通りは電柱の地中化と看板の撤去がなされており、すっかり姿を変えてしまっていた。記憶にある中町通りとはまったく違う。「こんなに残ってたっけ?」。
黒漆喰の重厚な店蔵の「デリー」でカレーを食べ、女鳥羽川の「まるも」でコーヒーという定番コースで遅い昼食を済ませた。
まだ一時間ある。旧善光寺街道の南部を歩く。深志3丁目の一角に遊郭っぽい建物があったので入っていったら小さな川沿いに何軒か残っていた。小さな川は要注意である。
まだ時間が残っていたので、最初に歩いた映画館の南部を歩いて駅へ戻った。16:04発のスーパーあずさ号はすでにホームに入っていた。乾燥ホタテと缶ビールを買い込んで、車窓の夕景を肴に一人酒に浸って帰った。
(END)
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