京都U・新潟(2004.06.08・09・16・26)
 

今回は3つの旅で訪れた新潟から京都の町並みを紹介する。
まず第一日目の6/8早朝、上越新幹線に乗って新潟県長岡へ、長岡で在来線に乗り換えて柏崎に10時頃到着した。この町に来たのは仕事である。ところが明日は朝一番で京都に居なければならない。今晩、東京へ帰って明日朝早く東京を発ってもいいが、京都では朝から大事な仕事がある。寝坊してはまずいので、新潟から京都へ向かって夜行列車で移動することにしている。さて、どんな旅となりますか・・・。

 
柏崎(新潟県柏崎市)
柏崎はろくすっぽ調べていないが、街道や港、近代は工業都市として栄えた町。DataBaseにもピックアップされているので、何らかの町並みがあろうかと地形図だけもって歩きははじめた。西本町、東本町が中心市街であることは想像がつき、実際そうであったが町並みは無い。その代わりにへんてこな店蔵だけが古い建物としてポツポツ残っている。柏崎は戦災には遭っていないので、「これは2回大火に遭ったな?」と推測しタクシーの運転手に聞いたら、やはり2回大火があったらしい。「新花町は遊郭ですか」とも聞いたがこれもズボシ。雨のため写真を撮る気がしなかったが、料亭が何軒か見られた。
古町通り(新潟県新潟市)
柏崎で仕事を終え、夕方、新潟へ向かう。新潟は町並み歩きとしては初めて訪れる。昔からの大きな国際港であり、信濃川をはさんで東西に町が形成されている。今回は万代橋を渡って、新潟の商業中心である古町通りを歩いた。
古町通りは信濃川に平行に走る何本もの南北通りの中で真ん中に位置しており、一番町から十二番町まで延々続いている。六番町から九番町あたりはアーケードのかかったショッピングモールとなっている。このアーケードの東側、東堀通りとの間が細長い夜の飲食店街となっている。料亭、バー、クラブなどが一本の通りに沿って並んでいる。
古町通りは十番町から十二番町にかけて雁木の町並みとなり人っ気は減る。全般に言えることだが、古い町で戦災に遭っていない割には古い建物が残っていない。その理由は新潟地震であろう。新潟駅のコンコースに新潟地震のときの写真が展示されていたが、これを見ると古い町並みが残るどころではなかったことがわかる。町の構造がすばらしいだけに、古い町並みが残っていたらどんなに良かっただろう。
五条楽園(京都府京都市)
新潟から急行きたぐに号に乗って京都へ向かう。鉄道好きには珍しい電車寝台で、昔京都から鹿児島まで走っていた寝台特急「なは」で乗ったことがある。今回は奮発してA寝台をおごった。A寝台下段は天井が高く広く、実に寝心地がいい。しかし、急行は夜中だというのに、まぁ小刻みよく停車しやがる。なんだかんだいってぐっすりは眠ることができなかった。

早朝京都に着いた。早朝ならではの町並みといえば、それは現役の花街。さわやかな朝こそ写真撮影しながら歩けるのである。
五条楽園はうわさどおりの現役カフェー街。遊郭としても十分風情を感じられるが、戦後のカフェー建築が現役で機能しているところを始めてみた。いろんな時代のいろんな種類の町並みが見られる京都は、本当に奥の深い町である。
上七軒(京都府京都市)
京都の遊郭といえば、島原・祇園。その次にランクされるのが上七軒である。北野天満宮の参道をメインストリートにしてお茶屋が並ぶ。町の大きさとしてはこの参道と歌舞練場の南側の通りくらいであまり大きくない花街であった。
二回目の旅はその一週間後。日帰りの仕事であったが、夕方京都の西方にある旧山陰街道の宿場町樫原を歩いた。まだ6月というのに夏日の天気である。
夜は、「いらかぐみ」で地元に住んでおられるKさんと西山さんとミニオフ会。川端通りの赤垣屋で飲んで盛り上がった。

 
樫原(京都府京都市)
阪急電車の桂駅で降りる。まだ6月だというのにとんでもなく蒸し暑い。台風が近づいてきている影響なのだろうか。線路に沿って南下すると踏切があった。ここが旧山陰街道。ここから旧道を西へ西へと歩いていく。樫原宿場町はまだまだ遠い。途中でたまらず缶ジュースを飲んで体を冷やす。それほど蒸し暑い。
ようやく古い家が現れてきた。2階が虫小窓の町家がうねった街道に子気味よく建ち並んでいる。道のカーブや高低などに変化があり、なかなか見ごたえのある町並みだった。
西の端に来たときに前方から京都駅行きのバスがやってきた。私は迷わずバスに飛び乗った。あ〜涼しい。
三度目の旅はさらに一週間後。京都で仕事を終え、夕方、京都の西にあるアサヒビール大山崎山荘美術館を見学に行った。昭和初期の別邸だが、実にいい場所に造られている。眼下は淀川、国道一号線、東海道線、新幹線、阪急電車とあらゆる交通の大動脈が走っていながら、その騒々しさを全く感じない。雨も手伝って、まるで軽井沢の高原にでも居るようであった。
翌日は「いらかぐみ」の京都在住の西山さんに案内してもらっての山城地方探訪。京都と奈良の間の町並みを歩いた。
 
深草(京都府京都市)
伏見稲荷を見た後、稲荷駅前で西山さんと合流した。西山さんの地元を西山さんの車に乗って連れてってもらう。

深草は琵琶湖疎水に沿って南北一直線の町並み。近代、深草が軍都であった証が、聖母女学院の建物にあった。通りを行き交う車は多く、オチオチ危なくて歩いていられないが、その騒々しさが現役の街道町らしく感じられた。
伏見(京都府京都市)
伏見は昨年歩いたが、せっかく近くに来たので車を降りて歩いた。酒蔵の建ち並ぶ地区の中のしゃれた和食やで食事をとった。町のはずれに長い酒蔵があるというので、いってみた。六角形の煉瓦煙突に長い3階建ての大きな酒蔵だった。
木津(京都府木津町)
木津といえばもう殆ど奈良に近い。山城地方の母なる川である木津川のほとりに河港として発展した町。町並みは、南北に通う奈良街道に沿って約1km弱の町並みが残っている。
ここで面白かったのは、町家の格子が奈良風の太いものと京風の細いものが混じっていること。しかも、奈良風は奈良側に、京風は京側に用いられてた。京都と奈良の中間であることを意識したからであろうか、なかなかユニークなデザインである。
上狛(京都府山城町)
木津川のたくさんのリベットを打ち込んだ古い泉大橋を渡り、対岸の山城町の上狛に行く。
上狛の北部は寺内町で今でも環濠の遺構が残っている。町の中は迷路のような細い路地がめぐっており、そんな中に比較的大きい寺院が現れる。
南部は木津川に近い集落で、ここは茶の製造や問屋を営んでいる家が多く、立派な屋敷を持つ家も少なくなかった。
京田辺(京都府京田辺市)
上狛から山背古道を北上していく。ところどころ旧家が残っており、奈良京都の歴史性の深さをここでも感じる。

京田辺は山城地方の西通りの町。町のはずれにある「一休寺」を拝観したが、禅寺の美しいランドスケープに魅せられてしまった。そういえば京都の観光の殆どは寺を見て廻ることにある。一般には町並みより寺なのだ。
京田辺の町並みはコンパクトであるが、通りに沿って重厚な商家が並んでいる。街道の交通量が多く、排気ガスで汚れた町家が少々痛々しい町並みであった。