新潟 日本海最大の港湾都市 災害から免れた町並み

新潟県
新潟市
古町通8〜12番町
本町通14番町、11番町
上大川通11〜12番町
東大畑町、北大畑町




交通

JR信越本線新潟駅



国道7号線、116号線




古町通8



古町通11



本町通14



上大川通11,12



西大畑町、中大畑町




2004.06.08

2005.12.27

(2005.12.27)
新潟は信濃川の河口に開かれた国際港湾都市である。その港町としての始まりは1655年(明暦元年)で、白山神社から南北約2.1km、東西約500mの細長い形で町割りがなされた。信濃川から水を引き込み東堀、西堀(現在通り)を初めとした水路が整備されるなど、町は徐々に拡大整備された。1843年幕府直轄領となり、1858年日米修好通商条約により5港の一つとして開港された。
広小路から下流にかけては下町と呼ばれ主に明治期以降に形成されたという。新潟は空襲を免れているものの幾度の大火や1964年の新潟地震で被災しており、下町エリアのそこここに古い町家や伝統的な町角に出会うことができる。ただし、連続する町並みが残っているわけではないので、点と点を結ぶことによってかつての新潟下町の町並みを想像するしかない。
見所となるエリアは5箇所ある。下町の中心軸は、かつての堀の跡である東堀通りと西堀通りのセンターにあたる古町通りでアーケードの商店街になっている。この古町通りと東、西堀通りの間の路地が料亭街となっていて伝統的な造りの料亭建築が並んでいる(必ずしも古くないようだ)。古町通りを下流へ進むとアーケードは雁木状に変わる。そのあたりに洋風看板建築や出桁造りの町家が残る。さらに下流に進み、本町通り14番町はかつての遊郭。東堀通りの東側、上大川通り11・12番町には大きな町屋敷が残る。そして、西堀通りを越えてさらに西へ進むと古い住宅地となり、洋館や邸宅が見られる。
七番町から九番町あたりは、古町通りがアーケードの商店街で、その一本東側が夜の飲食店街となっている。
(2004.06.08)

大きな料亭建築が東堀通り側に並ぶ。
(2004.06.08)
飲食店街の路地(左)
新潟地震があったため古い建物はあまり残っていないが風情は残っている。

(2004.06.08)


古町通り十一番町の町並み(下)
ここまでくるとアーケードは無くなり、雁木となる。唯一、近代建築3階建てが残っていた。新潟地震を潜り抜けた建物なのであろうか。

(2004.06.08)
本町通り十四番町の町並み
この辺は旧花街で、今でも旅館が残っている。

(2004.06.08)
本町通りに残る出桁町家
こういう町家を見ると、新潟が江戸や東京の文化圏であることがわかる。

(2004.06.08)
上大川通り12番町の町並み
(2005.12.27)
上大川通り12番町の町家
(2005.12.27)
上大川通り11番町の町家
新潟の町家の特徴は、表が平入りで奥が妻入り。この町家も平入りだが三方出桁造り。
(2005.12.27)
本町通り11番町の町家
この町家も平入り、三方出桁造り。
(2005.12.27)
中大畑町の洋風建築 金井写真館本店
明治初期の洋館と案内があったが、物凄いピンクである(オリジナルの色では無い?)
(2005.12.27)
北方文化博物館新潟分館(国登録)(左)
和館は明治28年、洋館は昭和3年築。ここは曾津八一終焉の地。曾津八一はこの
洋館を、1階は書斎と応接室、2階を寝室として使用していたという。
(2005.12.27)



西大畑町の白壁通り(下)
(2005.12.27)
参考資料 リンク
新潟市

参考文献
『日本の町並みV 関東・甲信越・東北・北海道』 西村幸夫監修 平凡社