川越から桐生へ(2004.01.25)
 

町並みWeb集団「いらかぐみ」の一人、西山遊野さんが関東に来られるというので、北関東を案内がてら一緒に廻ることにした。江戸川橋で集合し、川越街道を下っていく。

三富新田
川越街道は所沢バイパスを越えると国道と旧街道が重なり、道路の中央に並木が残されている。三芳町で川越街道から西に外れた。ここは、川越藩主であった柳沢吉保が元禄時代に開発した新田集落。住居・畑・山林が1セットの短冊状の敷地で並ぶ。このような新田開発は武蔵野の典型である。西山さんに「武蔵野」を知っていただくためにあえて寄り道。
川越
川越といえば小江戸と呼ばれる。それは、江戸・東京が度重なる火災の末行き着いた町家形式である土蔵造りの町並みが、この川越で見られるからである。しかし、川越の蔵造りは江戸時代からあったものではなく、明治26年の大火の後に造られたものである。
今回、久しぶりに川越を歩いて、その変貌振りにびっくりした。古い町並みが無くなっってしまった驚きではなく、「こんないあったんだ」という驚き。喜多院近くの遊郭跡や看板建築の町並みなど、新たな川越を発見することができた。
関西に拠点を置く西山さんは、「このような蔵造りは新鮮!」と目を光らせていた。

古名新田
川越から深谷に向かう。途中、荒川を渡らなければならないが、以前川原の中ある集落を確認していたので立ち寄ることとした。川原の中に土手を築き、その上に一直線の集落が形成されてる。周りは何も無いため強風がが吹き付けるのであろう、風上側に背の高い垣根が立てられている。西山さんは野鳥を見つけたらしく、一生懸命野鳥の写真を撮っていた。
車内で西山さんが「こんないに山が遠い風景は関西に無い。京都に住む私は山が見えないと不安になります」とおっしゃった。広い関東平野を実感していただきよかった。

深谷
旧中山道深谷宿を訪ねる。ここは去年、旧中山道江戸発で訪ねた。明治の東京の煉瓦建築を造った工場のある、煉瓦の町を見ていただこうと思いご案内した。
このような町並みも関西ではあまり見られないのではないでしょうか。
桐生
川越が相当見所が多かったので、本日の北関東の旅は桐生で終わり。ここまでくると山がようやく迫ってくる。西山さんも安心されたかな。
桐生は北の端の八幡宮から南の端の50号バイパスまで南北に展開する町。北から南に下るにしたがって町並みの時代も下る。
実は西山さんは、桐生の駅周辺を数日前の昼間に訪れている。今日はもっとも古い町を夕暮れ時に訪れた。「数日前に訪れたときとはまったく違う印象です」と西山さん。