桐生 各年代の町並みが段階的に展開する都市

群馬県
桐生市
本町1
〜本町5


交通


JR両毛線桐生駅下車
東武伊勢崎線新桐生駅下車


国道50号広沢町1より県道66号線(本町通り)に入る



本町
群馬県東部、渡良瀬川支流の桐生川扇状地上に形成された都市で、四囲を緑の山なみに囲まれた自然環境に恵まれた街である。

文献史料に「桐生」の名が現れるのは平安時代末期、現在の市街地北部を開き領有した「桐生六郎」が最初である。室町時代に桐生に定住し、その屋敷が今も残り、国重要文化財に指定されている(彦部家)。
祭神白滝姫の伝説は桐生地方の織物の発祥は平安時代であると伝える。

近世初頭、桐生地方は徳川家康の所領となる。天正l9年(l591)代官大久保長安の手代大野尊吉は当時荒戸原とよばれていた地を開発、天満宮前に桐生新町を建設した。これが桐生の真ん中を貫く本町通りの町並みの原点である。

桐生地方は天領であったが、町の運営には町人の力が用いられ、大名領、旗本領と変遷はあったものの、町人の力が大きい町に変わりはなかった。

江戸時代以来、織物業を基幹産業として発展してきた桐生の町は、明治に入って織物会社が設立され産業基盤が固められた。大正期は人絹織物の生産が盛んとなり、昭和初期の人絹糸の消費は全国一位、人絹交織織物の生産は全国二位となっている。しかし、昨今の産業構造の変革によって織物業はかつての活況を失い産業構造の転換を迫られているが、伝統産業である織物への市民の思いは熱いという。
町並みは、都市創生の原点である天満宮前の新町より、本町通りを中心として南へ南へと拡大してきた。したがって、本町1丁目から丁目の数字が大きくなるにつれて町並みの年代が若くなっていく。現在の町の中心地は渡良瀬川を渡り、国道50号線バイパスのロードサイド型商業集積エリアである。

本町通りから左右に分け入ると、古い工場など近代化遺産に出会うことができる。
参考資料 リンク
桐生市
桐生ウォーカー

参考文献