岐阜(2004.07.10-11)
 

今年の梅雨はさほど雨が降らない。その割りに降るときはスコールのように集中豪雨となる。この日は会社の同僚と名古屋・岐阜の観光旅行である。東京を出る時間に名古屋では大雨との情報が入った。道中心配していたが名古屋インターを降りたときは雨が止んでほっとした。名古屋に住む同僚と合流し、近代建築の名古屋市政資料館を見学に行った。
白壁(愛知県名古屋市)
市政資料館は大正11年に建てられた名古屋控訴院の建物で、赤い煉瓦と白い花崗石を組み合わせたネオバロック様式。昭和59年に重文に指定されている。この時代の赤煉瓦建築として貴重な遺構だが、窓が木建具であるのには驚いた。内部意匠もなかなか手の込んだこってり系で、さすが食べ物の味の濃い名古屋である。
その市政資料館の東側は町並みのある白壁地区だが、今回の旅の目的が違うので、資料館正面にある戦災から免れた地区をちょっぴり歩いた。白壁地区は改めて訪れなければならない。
名古屋から岐阜へ向かう。名岐バイパスを北上するが、稲沢付近でガッツンと混んで止まってしまった。仕方が無いので抜け道を選ぶが、しばらく走るとあたりは水浸し。どうやら朝の集中豪雨で、一宮周辺は随所で浸水しているらしい。その影響で名岐バイパスも寸断されてしまったようだ。カーナビを見ながら抜け道を選ぶが、何本も川を渡らなければならず、随所で浸水していた。なんだかんだで、岐阜まで2時間半を要してしまった。
この数日後、日本海に停滞した梅雨前線による集中豪雨で、新潟と福井で洪水が起こった。日本全体が南に移動したかのようである。
岐阜では、金華山の麓の長良橋近くのホテルに宿泊した。長良橋の南北一帯は、河港を中心にして栄えた町だが、長良川や金華山という自然の防火帯によって戦災から免れた場所である。翌朝は早起きして、ホテルの朝食前に町並みを散策した。
岐阜長良北町(岐阜県岐阜市)
朝6時起床。昨晩の宴会でぐっすり寝ている同僚を起こさぬよう、静かにホテルの部屋を出る。今にも降りそうな曇天で時折カミナリがなっている。
長良橋を渡って長良北町を歩く。ここは岐阜市内の戦災から免れた場所のひとつで、地形図で旧街道沿いの町並みを確認していた。「いらかぐみ」の地元Satopyさんの紹介もあった場所である。町並みは旧街道に沿った商店街に残っていた。途中、長良川の第二堤防の水門を跨いでの町並みである。美濃地方らしい袖壁のある2階漆喰の町家が並ぶ。
岐阜玉井町(岐阜県岐阜市)
長良橋を南に戻って、橋の袂の長良川第一堤防と第二堤防の間にある玉井町を歩く。玉井町は、河港から発展した町並みで、江戸末期の建物も残っている。町家は木造2階建てで、2階は出格子のある黒漆喰塗りの壁で袖壁が付いている。河港として賑わった商家が連続して残る質の高い歴史的町並みである。
柳ヶ瀬(岐阜県岐阜市)
ホテルを出て金華山に上る。こういった観光旅行でなければ登ったりはしないだろうが登って正解。濃尾平野が一望の下に眺められ、木曾三川の流れとその中に形成された岐阜の市街が眼下に広がる。戦災で焼け残った玉井町や長良北町の甍も一目瞭然である。
柳ヶ瀬は、「柳ヶ瀬ブルース」でも有名な岐阜の歓楽街。東寄りは一般のクラブが多いが西半分は外国人パブが多いという。その町の規模は地方都市にしては結構なものである。中心を貫くアーケード街は元はショッピング街だったのであろうが、夜の飲食店が多くなっているようだ。
柳ヶ瀬の町の端っこにストリップ小屋があったが、朝だというのにオープンを待つ人が列を作っていた。