前史(江戸時代〜明治23年)

 
1860年頃

「丸の内」という呼名は、御曲輪内という意味から出た言葉と思われる。つまり、御曲輪内である江戸城の内郭が完成した1629年、外郭が完成した1636年以降に生まれものといわれている。
内郭は、大手前郭(今の大手町あたり)、西の丸下郭(今の皇居前広場)、大名小路郭(今の丸の内)の3郭より成っていた。大名小路郭と大手前郭との間には江戸城への物資供給ルート道三堀(今の永代通りあたり)があった。大名小路郭には、馬場先門、和田倉門、日比谷門に至る東西の通りと、中央を貫く南北の通りにより区画され約200M以上の大きな整形の街区で、大名屋敷が整然と並んでいた。

明治維新後、新政府は早急に近代国家を建設するよう努めた。丸の内周辺では、洋風建築が建ち並び、大名屋敷跡が錬兵場となった。

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