精進 | 戦国武将も歩いた軍用道 富士と湖を臨む集落 | |
山梨県 富士河口湖町 (旧上九一色村) 精進 交通 精進 2012.12.01 |
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中道往還は、古くから開かれていたといわれ、甲斐と駿河を結ぶ三つの街道の内若彦路、富士川海道お間を通る道であることから「中道」と呼ばれるようになった。鎌倉時代には、甲斐源氏の武田信義、安田義定らの武将、戦国時代には武田信玄、織田信長、徳川家康などの武将が往来した軍用道として使われた。江戸時代の居村集落では、海産物の荷駄賃稼や下駄、天秤棒、鍬の柄、角箸などの細工物で生計を立てていたという。精進は、富士山と精進湖を臨み、旧街道時代の雰囲気を感じることのできる集落である。 | ||
精進集落の町並み | ||
精進集落の町並み | ||
精進集落の町並み | ||
精進集落の町並み | ||
精進集落の町並み | ||
精進集落の町並み | ||
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精進集落の町並み | ||
参考資料 | リンク 富士河口湖町 参考文献 |