矢玉 日本海の近海漁業で栄えた本州西端の密集漁村

山口県
下関市
豊北町
矢玉





交通





矢玉





2018.10.08

      
西は響灘に面し、背後は山間を縫って矢玉川が流下し、その河口のデルタ地帯に位置する。地名の由来は、「地下上申」に、往古蒙古退治のとき矢と玉をこの地のものが献上したので、矢玉といったとある。古くは大物ノ浦と称し、大内氏の時代には内藤氏の支配下で、のちに大内氏の残党が住み付いたという。恋路浜には大物ノ浦といった時代に、遊里があり、九州の者が出入りしていて、傾城買論で刃傷に及んだので、恋路浜といったという。
また、大正期から昭和20年の終戦期までは、朝鮮・大連方面への出漁が多く、戦後は対馬・五島・朝鮮近海へのフグはえ縄漁で栄えた。昭和30年以降は漁港が埋め立てられ、数回にわたって整備された。
矢玉の町並み
集落町並みに関する情報は何もなかったが、空中写真で見た「密集度」に魅かれ訪れた。
矢玉の町並み
矢玉の町並み

矢玉の町並み
表通りは普通なれど、そこから一歩入るとクルマの入れない路地が続く。漁村として栄えた証である。

矢玉の町並み
矢玉の町並み

矢玉の町並み
加藤味噌醸造所。

矢玉の町並み
運河を挟んですごい密集度の一角があった。
 

矢玉の町並み
割と整然と区画されている。昭和30年以降に港が埋め立てられたというから、そこかもしれない。
参考資料 リンク
下関市

参考文献