徳山 戦災復興の街 明治以降に発展した工業都市 

山口県
周南市
銀南街
銀座
有楽町
御幸通
新町
本町
栄町





交通
JR山陽本線徳山駅下車






徳山




2016.07.16
近世は毛利氏の城下町で、明治時代に入ってから瀬戸内海沿岸に海軍煉炭製造所(後の海軍燃料廠)が設けられたことで、工業都市として栄えた。しかし、その海軍施設があったのが理由で、太平洋戦争時には2度の激しい空襲を受けている。したがって、徳山市街には基本的に古い建物はなく、純度の高い戦後復興の町並みが見られる。駅前から北へのびる御幸通りは、両側に側道を備え四列の街路樹が整備された戦災復興都市計画によるもので、この通りの東側が銀座、西側が有楽町という町名となっており、東京の地名にあやかった都市計画がなされた。ピアモール銀座(徳山銀座商店街)は旧山陽道にあたる通り。かつては近鉄百貨店もあったが、今では寂れた感が強い。その北にある銀南街は、昭和28年に木造3階建の商店街として発足し、昭和40年に銀南街防災建築街区造成事業により、鉄筋コンクリート6階地下3階の近代的な建物に生まれ変わった。東西に隣接する商店街にもアーケードをかけて接続し、長さ300mの2層のアーケード街が形成されている。
ピアモール銀座(徳山銀座商店街)
旧山陽道にあたる駅前商店街。向こうに見える大きな建物は旧近鉄百貨店。

ピアモール銀座から北へ折れる一番街。そこからさらに分岐しているのが銀座中央街。銀座中央街は、通り幅が狭く賑わいが感じられる。
銀座中央街
銀座中央街
銀南街商店街
二層使いのアーケード街。ありそうでなかなか無いケース。
銀南街商店街
2階と地下へ結ぶエスカレーター。こういうのもレトロを感じる。

新町2丁目の町並み
戦後~高度経済成長期のビル(上、下)

栄町2丁目の町並み
l公園に面して飲食店街が並ぶ(左下)

御幸通り(左上)

本町1丁目の町並み
旧山陽道に面して看板建築が。まさか戦前か。(左上)
有楽町の町並み
駅前旅館街の飲食店
有楽町の町並み
駅前旅館街
参考資料 リンク
周南市

参考文献