田野 阪神大震災を乗り越えた異人館たちの町

和歌山県
和歌山市
田野




交通

JR阪和線和歌山駅下車タクシー






田野




2004.11.28
 幕末の安政5年(1858)、相次いで締結された5カ国との修好通商条約によって6年に長崎、横浜、箱館が開港、兵庫は慶応3年(1868)に開港した。条約で設置が義務図けられた外国人居留地は当初海に近い現在旧居留地と呼ばれている場所につくられた。しかし、明治32年の居留地解消後、旧居留地は神戸の商業地へと機能転換していった。一方、明治中期以降の外国人住宅は山の手に建てられるようになった。旧居留地の建物はヨーロッパ系の外国人が多く住宅様式もそれぞれのお国柄が反映されたものだったといわれているが、その後の山の手の異人館もその傾向が継承されているという。
 神戸の町は山と海に挟まれた東西に長い町であり、市街地の街路線形は海と山(六甲山)を結ぶ南北軸、横に結ぶ東西軸によって構成される。 北野町は明治22年に住宅地としての基盤整備がなされたが、市街地の南北軸に接続する形で不動坂、北野坂、ハンター坂などの通りが、等高線に沿った形で東西の北野通り、山本通りという目抜き通りがつくられた。また、内部は従前の田園の畦道が転じたといわれる小道で曲がりくねっており、六甲山麓の微地形に沿っている。このような明治期に開発された山の手の住宅地にはその後多くの洋館が建てられた。、現在でもその多くが残されており国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 北野の異人館は、テレビドラマの舞台になったりして早くから神戸町歩き観光のスポットとなり、1980年代頃から北野通りや山本通りにおしゃれなブティックやレストランが建てられた。しかし、第二次世界大戦をくぐりぬけることが出来た異人館も阪神大震災のダメージからは逃れられなかった。現在、被災した住宅の殆どが修復されており震災の爪跡は薄れてはいるが、まだ崩壊したまま放置されている洋館もある。異人館は公開されているものや動態保存として活用されているものもあり好ましいことだが、一方観光客相手の商売性が前面に出た装飾や呼び込みがあったりしては旅人は幻滅させられる。あまりやりすぎると造られたテーマパークと変わらなくなってしまう。多少の演出はいいとしても震災前の状態くらいにとどめてほしい。異人館の間には普通の住宅やマンションが建っている。古い町並み観察者からはこういった建物は普通邪魔に感じるものだが、ここ北野町では逆に街としてのリアリティを演出していると感じてしまう。

参考資料 リンク
和歌山市

参考文献