若桜 山陰山沿いの2つの姿を持つ町並み

鳥取県
若桜町
若桜



交通

若桜鉄道若桜駅下車





若桜



2006.05.27
若桜は、中世以来、矢部、尼子、毛利、木下諸氏の居城、関ヶ原の合戦(1600年)後は山崎氏の城下町であった。元和3年(1617年)以後は鳥取藩領となり、若桜街道の宿場町として栄えた。若桜街道は鳥取から姫路に至る街道で、別名播州街道とも呼ばれた。近世は智頭街道の方が重要路となり、山陰本線の開通により若桜は廃れた。しかし、昭和30年(1955年)に鳥取兵庫国境の戸倉峠トンネルが開通し、国道29号線は山陰阪神間の最短ルートとなった。
鳥取からの因美線郡家駅からの若桜鉄道は旧国鉄時代の若桜線で、若桜駅が終点となっている。可愛らしい駅舎を出ると、町の背後の山の上に中世の鬼ヶ城跡があり町を見下ろしている。駅前通を300mほど歩くと旧若桜街道とクロスする。この旧若桜街道の商店街は「カリヤ通り」と呼ばれる。カリヤとは、平入町家の1階表側の下屋空間のことで、大火後の整備で明治18年(1885年)以降に発生したものという。道路幅を広げ水路を設け、奥行き4尺のカリヤをつけるようになった。若桜は西日本といえども日本海側の山沿いで、冬季は雪が多い。カリヤは新潟の雁木、青森のコミセと同じようなアーケード空間だったようである。
カリヤ通りと並行する裏通りには、各町家の土蔵が並んでおり、通称蔵通りと呼ばれている。若桜は山陰の山沿いの2つの姿を見せてくれる町並みである。
早朝の若桜駅。車で送迎された学生が次々と列車に乗り込んでいった。
通称「蔵通り」の蔵並み。表通りとは全く違った景観である。蔵通りは寺町でもある。蔵の並ぶのと反対側は寺が並ぶ。

これだけ蔵がくっついて並んでいるのも珍しい。(左)


蔵は一軒に複数あるようだ。中庭へ抜ける裏門がある家が多い。(上)

表通りのカリヤ通りから蔵通りの寺に抜ける参道。(上)


町家が失われた空地。(左上)

カリヤという表側の下屋空間が最もよく残っている町家。黒壁と白い海鼠壁、赤瓦のハーモニーが実に良い。

カリヤと柱に洋風意匠が見られた。(上)

カリヤの連続する町並み。(左上)

町の中心部の町家。(左)

変わったデザインの小学校。(上)

隣が壊されて町家の側面が現れた。(左)
歴史民俗資料館。
参考資料 リンク
若桜町

参考文献
『日本の町並みU 中国・四国・九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社