湯島 戦災のない東京 湯島天神に守られた戦前の町並み

東京都
文京区
湯島3




交通

地下鉄千代田線
湯島駅下車





湯島




2003.07.05
2008.02.16
東京大空襲の時、旧市街の下町では北西の風にあおられて燃え広がったと考えられる。大きな緑地や川、大通り、震災復興小学校などの不燃建築物の風下側の町は焼け残った場所が多い。文京区湯島3丁目の一部は、湯島天神の南東側に位置しており、戦災を免れた戦前の町並みが見られる。しかし、大正12年の関東大震災では被災しており、復興小学校である黒門小学校がある。小学校の南側も焼け残った場所であり、火除けとして建てられた不燃建築物の効果はあった。しかし、現在では小学校周辺では残っていない。

町並みは湯島神社の男坂、女坂を下ったあたりが見所で、伝統的な出し桁造りの町家が数棟見られる。ただ、都心部は現在、住宅建設ラッシュで、すごい勢いで建て替えが進んでいるので、町並として認識できる景観はここ数年が命といった感じである。
 また、湯島天神の西側、中坂の上は明治維新後に栄えた三業地で、「全国花街めぐり」(昭和4年)によれば、芸妓置屋59軒、芸妓120人、料亭15軒、待合31軒が存在していたという。今ではラブホテルの間に小料理屋が数軒見られる程度だ。
震災復興小学校である黒門小学校。戦後の空中写真では、黒門小学校が火除けになったことが鮮明に分かる。今では周囲に古い建物は残っていない。
昌平橋通り東側の看板建築。冒頭の終戦後の空中写真で焼け残った黒い部分にぴったりはまる。
湯島天神下の非戦災エリアに残る長屋。
湯島天神下の非戦災エリアに残る木造三階建て。
湯島天神下の町並み
湯島天神の女坂を降りた通りの町並み。右手前の町家の隣ではマンションが建設されていた。上の写真の通りを突き当たった場所の民家

湯島天神女坂下の民家。右手が女坂。(左)

湯島天神男坂(左)

湯島天神下には湯島天神の崖線に沿って残った町並み。左手が崖線である。(左下)
参考資料 リンク
文京区

参考文献

『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社