洲崎 木場の職人衆が鳴らした下町のパラダイス

東京都
江東区
東陽1丁目




交通

地下鉄東西線
木場駅下車


永代通り





洲崎




2003.10.19
 洲崎とは江東区の中央部、木場の東側一帯の通称で、元禄年間(1688〜1704年)に埋め立てられた新地である。明治19年(1886年)埋立地が拡大され、明治21年に遊郭が根津から洲崎へ移転した。大正中期の全盛期で業者数が300軒を超えていたというから壮大な遊郭であったろう。
 永代通りから旧洲崎遊郭に入る。盛り上がった橋の跡を超えると広々とした大通りになる。洲崎遊郭の埋め立て地は当時は海に面していたが、現在は周りすべてが地続きになっているものの、掘割の跡に囲まれていて周囲の町との連続性は薄い。洲崎遊郭は戦災でまる焼けになったので、戦前の面影はなく、戦後のカフェー街(赤線)時代の面影を残す。大通りと大通りの東側がカフェー街で、モルタル吹付けやモザイクタイルをベースに変わったデザインの建物が点在している。
洲崎神社。裏手の運河を渡ると洲崎パラダイス。
洲崎パラダイスの大通り。この両側に整然と区画された新地遊郭があった大通りの突き当たりはかつては海。
町の北東部にかつての建築が残っている。バルコニーつきアーチ屋根の建物は現在マーケット。
1階が飲食店の建物。看板建築頂部のデザインがさまざま。
左右対称、バルコニー、モザイクタイルがこの手の建築の特徴。カフェーの建物は2階の個室をアパート利用しているのが多い。
旧「大賀」。現在はアパート。
通り(左手)に面してモザイクタイルの円柱をつけた3つの玄関があったようだ(現在1箇所)。
大通りの南端にある建物。交差点を意識した塔はさることながら、装飾は何様式?。(左)

大通りの西側の町並み。戦後カフェー街になったのは東側半分であったため、西側半分にはカフェー調建築は見られない。(下)
参考資料 リンク
江東区

参考文献
『赤線跡を歩く』 木村聡 自由国民社