新富町 | 明治期の新島原遊郭にはじまる旧花街 | |
東京都 中央区 新富1,2 交通 地下鉄有楽町線新富町駅下車徒歩 新富町 2008.02.16 |
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新富町は隅田川西岸に位置し、築地に外人居留地が開かれた際、現在の新富2丁目付近の武家屋敷跡地に遊郭が置かれ、新島原と称された。1871年(明治4年)遊郭は吉原に移転された。その後も花街としてにぎわい、昭和初期で芸妓置屋80軒、料亭6軒、待合70軒だった(「続赤線跡を歩く「全国花街めぐり」」とあり、「松しま」という料亭は今でも存続している。このあたりは、戦災を免れた地域でもあり、主には関東大震災後の建物が多く残っている。今では、料亭建築をサンドイッチするように中小企業が集積しており、大規模なオフィスビルへの建て替えも進んでいる。 | ||
新富町駅近くにある関東大震災後のマンサート屋根+銅板建築。(上) 新富町1丁目の町並み。(左上、左) |
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新大橋通りに面する古いオフィスビル(上) 現役で営業を続けている割烹料理屋。(左上) 狭い敷地ながら塀をめぐらしている。かつては料亭であったと思われるが、現在は住宅のようだった。 |
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玄関、小窓、バルコニーの意匠が遊里の記憶。 |
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建て替えされていない路地 | ||
2階建ての建物が並んでいる通り。東京駅からほど近い場所とは思えない。 | ||
参考資料 | リンク 中央区 参考文献 『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社 |