成城 大正期に学園建設のために生まれた高級住宅地

東京都
世田谷区
成城4,5





交通
小田急線成城学園前駅下車徒歩




成城




2009.08.15
世田谷区成城は、小田急線成城駅を中心とした約68万坪(225.9ha)に及ぶ地域である。明治末頃までは、北多摩郡砧村喜多見台と呼ばれ、武蔵野の雑木林であった。成城の生みの親である小原國芳は、小田急線がこの地に開通することに目をつけ、学園建設捻出のため周辺の土地2万坪を購入し、学園建設とともに区画整理をして宅地を分譲した。大正14年(1925年)のことである。この手法によって誕生した街成城は、学園都市の先駆的事例となり、その後町田市の玉川学園も同様の手法によって開発された。
成城には学園都市という好イメージを背景に学者や文人が移住、1932年に東宝撮影所ができてからは、黒沢明や三船敏郎ら映画関係者らが多く居住するようになった。また町域は、駅南の成城1〜3丁目の開発、その後も続いて最終的には9丁目までに達した。こうして成城は、時代とともにエリアを拡大しながらステイタス性を高めていった。
成城の町は、駅から北へまっすぐに伸びる並木道と、東の成城学園正門から西へ延びる通りを座標軸とした町割がなされている。駅北口に近い4,5丁目は販売当初の大きな敷地も変わらず、古くから住み続けている居住者が多いそうで、街路樹のみならず庭の樹木も相まって豊富な緑量による優れた環境が保たれている。これは、古くからの住人が協定を結び街の環境を守ってきたことによる。
成城学園(現成城大学)の正門
キャンパスは街の東端にあり、正門は西を向いていて横(東西)の基軸となっている。
 

成城学園駅周辺の商業地

駅北口の商店街(左上、左下)

駅南の飲み屋街(上)

駅から北へ延びる並木道。成城の町の縦(南北)の基軸である。(左上)
別の並木道(左下)
敷地内の緑も相当育っている(上)
 

成城の古い住宅
母屋はモダンな様式。各戸はたっぷりとした敷地、木戸の門、塀はなく生垣が基本である。
参考資料 リンク
世田谷区

参考文献