旧猿若町 浅草の旧芝居町 奥州街道沿いの履物問屋街

東京都
台東区
花川戸
浅草7





交通
銀座線浅草駅、東武伊勢崎線浅草駅






旧猿若町





2018.05.06
猿若町は、浅草寺北東部の現浅草7丁目にあたるエリアで、江戸期から昭和41年まで使われていた旧地名(昭和22年以降浅草を冠称)。この地は、丹波国園部藩主小出氏の下屋敷であったが、風紀を引き締め幕府を立て直す目的で実施された天保改革の一環として、幕府はこの屋敷を公収し、その跡地に境町・葺屋町・木挽町(いずれも現・中央区)にあった芝居小屋の移転を命じた。芝居小屋は、天保13年から翌14年にかけて当地に移り、猿若町が形成された。芝居小屋の移転とともに、猿若町は1丁目から3丁目にわけられ、1丁目には中村座および薩摩座、2丁目には市村座および結城座が移った。そして、3丁目には河原崎座が移転してきた。このうち、中村座、市村座、河原崎座が世にいう「猿若三座」である。町名は、江戸芝居の始祖といわれた猿若勘三郎の名をとってつけたという。芝居町は明治以降、中央区にもどったが、浅草は舞台芸術の中心としてあり続け、現在でも舞台関係の会社が拠点を構えているのはその名残であろう。
またここは、浅草寺東エリアの花川戸とともに、旧日光街道・奥州街道に沿って発展した商業地で、現在でも履物問屋の街となっている。浅草の旧市街地であるが、戦災によって戦前までの面影はあまり残っていないのは残念なところ。
花川戸の町並み
花川戸の町並み

花川戸の町並み
モリヘイの看板のかかった森平舞台は、創業1906年(明治39年)の舞台機構会社。
旧猿若町の町並み
旧猿若町の町並み
旧猿若町の町並み
旧猿若町の町並み
旧猿若町の町並み

旧猿若町の町並み
中村座跡(上、左下)

旧猿若町の町並み
市村座跡(左上)

旧猿若町の町並み
守田座跡(左上)
参考資料 リンク
台東区

参考文献