大塚
駒込
城北一の花街と言われた現役の料亭街

東京都
豊島区
南大塚1

文京区
本駒込5




交通
JR山手線大塚駅下車徒歩
駒込駅下車徒歩




大塚



駒込




2008.02.16
 大塚は江戸時代には江戸北西の郊外地であったが、1903年(明治36年)大塚駅開設後しだいに発展し、王子電気軌道(現都電)の開業後は駅前商店街が成立した。第二次世界大戦までは池袋をしのぐ城北の繁華街であったが、戦後は東京の住宅地が西進したため停滞した。 大正7年に大塚に二業地の許可が、続いて大正14年に三業地の許可が下りた。大塚駅前の天祖神社周辺にはお師匠さんたちが集住し「大塚遊芸師匠組合」が組織されていたため、当初神社周辺に地区指定が期待されていたが、許可が下りたのは駅から東方にやや離れた場所であった。
 大塚駅の南口を出て大通りを東へ渡ると「大塚三業通り入口」なる看板が現れる。その名から容易に花街であることが分かる。大塚三業通りは古い通りらしくくねくねしていて、両側に料亭が並んでいる。看板をあげている店が多いので多くは現役であろう。

 山手線で大塚駅から上野方面に二駅の駒込にも新興の花柳会があった。地元の大地主ら数名の三業地出願によって大正11年に指定された。駒込駅南口からアザレア通り商店街をずっと進み、不忍通りの手前あたりになる。現在では古い元料亭か旅館らしき建物ぐらいが残っている程度。

大塚三業通の名が残っているから現役の花柳会といえる。(上)

三業通りの町並み(左上、左)
三業通りの町並み(左上、左)
三業通りの町並み(左上、左)

三業通りのから入った通り(上、左、左下)


駒込花街のあたりにあった古い建物。(下)
参考資料 リンク
豊島区
文京区

参考文献
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社