荻窪 大正・昭和初期に開発された武蔵野台地の別荘地

東京都
杉並区
荻窪3,4




交通

JR中央線荻窪駅下車徒歩




荻窪





2009.01.24
荻窪は、東京近郊で大正期から昭和初期にかけて開発された別荘地として、西の鎌倉、東の荻窪と称された。昭和12年に公爵近衛文麿が別荘「荻外荘(てきがいそう)」を構えたところから閑静な住宅地として評価が高まり、井伏鱒二などの作家や、 音楽評論家の大田黒元雄など 多くの文化人が移り住んだ。井伏鱒二著の「荻窪風土記」には、戦前から作家、画家等の知識階層が多く住み、荻窪の文化を形成していったことが書かれている。 その歴史と文化は今でも邸宅が並ぶ住宅街に生きづき、特に南荻窪1丁目、2丁目、3丁目、4丁目、荻窪3丁目、4丁目、上荻は高級住宅地として知られている。
荻窪の閑静な住宅街の中で古い佇まいを残しているのが西郊ロッヂングである。昭和6年創業の旅館だが、当時は高級下宿と言われた食事つきのアパートだった。家賃は当時の大卒初任給の半分程度だったそうで、お金持ちの息子や単身者が入っていたそうだ。現在でも運営されており、隣の旅館も営業されていた。住宅街の家屋の中には古いものも見られるほか、東京都は思えないほど見そり豊かな街である。
大田黒公園
音楽評論家<大田黒元雄>氏(1893〜1979)の屋敷跡杉並区が日本庭園として整備し、昭和56年10月1日に開園したもの。
大田黒元雄氏の仕事場だった建物
大田黒元雄氏の仕事場
戦前からの住宅
西郊ロッヂング

西郊ロッヂング
荻窪三丁めの町並み
荻窪三丁めの町並み
荻窪四丁目の古いアパート
荻窪四丁目の町並み
参考資料 リンク
杉並区

参考文献