西蒲田 大正期にはじまり戦後復興でできたディープな繁華街

東京都
大田区
西蒲田5〜7





交通
JR京浜東北線蒲田駅下車





西蒲田





2016.12.10
大正期以降、関東大震災後の復興もあり、それまで農村だった東京の山の手地区は、私鉄の開通とともに急速に住宅地として開発された。東急目蒲線(現多摩川線)と池上線が全通したのは1923年(大正12年)のこと、田園調布や洗足などの住宅地開発も同時になされた。蒲田駅は、それまで何もない農村を通っていた東海道本線(現京浜東北線)に東急電鉄が接続するターミナル駅となる。同時に、蒲田駅周辺はまわりの工業地の開発も背景として、商業地に発展していった。その間、太平洋戦争時の空襲も経験しており、現在の町並みは戦後のものである。
駅西はロータリーが整備され、西へ向けてアーケード状の商店街と飲食店街が広がる繁華街が形成されている。その味はやや昭和を引きずったレトロかつディープなもので、戦後70年を過ぎた今、歴史的な町並みといえる。

蒲田西口商店街
サンライズ街(上、左上)
サンロード街(左下)

東急高架下との間に形成された飲食店街

日本工学院へ向かう工学院通り商店街(上)
駅前のビルの上には展望回転レストランがあった(左上)
蒲田駅前から北西方向へ延びる斜めの通りは市街化する前からの古い道(左下)

蒲田駅前から北西方向へ延びる斜めの通りから大城通り商店街の間は、ディープな夜の飲食店街。なぜここに形成されたのか?

西蒲田7丁目の東京蒲田病院の裏にあるディープな界隈(左、下)
ここも突然現れる。
西蒲田7丁目の町並み
参考資料 リンク
大田区

参考文献