内藤町 新宿御苑に隣接してつくられた戦前の屋敷町 

東京都
新宿区
内藤町



交通

地下鉄丸の内線新宿御苑前、四谷三丁目下車






内藤町




2004.09.04
明治期の参謀本部測量図を見ると、甲州街道の内藤新宿の南にある「植物御苑」(現在の新宿御苑)の東側は畑が広がっていた。明治維新後に現新宿御苑から移転した内藤家は、旧内藤家中屋敷の一部であったこの場所を宅地化し、貸地貸家経営を始めた。その町が内藤町で、中ほどにある多武峰神社の周りに主に高級軍人が住むようになり、住宅街として昭和初期に完成した。
現在、内藤町は外苑西通りと新宿御苑の間に位置するが、外苑西通りを走っていると一歩内側にこんな閑静な住宅地があるとは思いも寄らない。新宿の繁華街へ徒歩15分で行ける都心でありながら、やはり新宿御苑に隣接するという効環境は屋敷町をそう簡単には変えられないようだ。戦前までの住宅は少なくなり、集合住宅への建て替えも見られるなか、御苑側には現在でも大きな屋敷と近代和風住宅が残っている。
新宿駅南口駅前。新宿駅前の商業地区は、東口→西口→南口という順番で発展した。
甲州街道の四谷四丁目交差点から外苑西通りの一本新宿御苑側の通りを入っていくとお屋敷町が始まる。(上)

御苑側に戦前からの大きな屋敷と近代和風住宅が残る。(左)
東京の古い町は戦災を免れた町でもある。必ずと言って良いほど旧番地の表札を見る。
「四谷区内藤町1番地」
このお宅は外苑西通り側。
内藤町の通り南端付近のお宅(御苑側)。
新宿御苑の東門。
旧内藤家中屋敷がいかに大きかったか。
参考資料 リンク
新宿区

参考文献
『総覧 日本の建築3 東京』 日本建築学会編 新建築社