武蔵新田 多摩川沿い工場地域に造られた戦後のカフェー

東京都
大田区
矢口1




交通
東急多摩川線武蔵新田駅下車





矢口1




2008.02.01
 目黒〜蒲田間を走っていた旧目蒲線も現在は田園調布で分断されて、目黒線と多摩川線に名を変えている。しかし、東急電鉄の始まりがこの線で、東京の郊外住宅地の開発とともに1922年に設立された目黒蒲田電鉄が現東急電鉄の母体なのである。旧目蒲線の沿線は大正期以降の住宅地と商店街が印象的であるが、田園調布〜蒲田間は多摩堤に沿って丘の下を通り、沿線の北側は同様の住宅地であるが南側は多摩川沿いの工業地域として開発された。武蔵新田駅は大正13年に開業し、駅南には丘の住人と工場の労働者でにぎわった商店街がある。そして、商店街の裏手には戦後カフェー街もつくられた。洲崎から羽田穴森に移転していた業者が、空港建設でさらにこの武蔵新田に昭和20年に移ってきたのがカフェー街の始まり。3棟のアパートが活用されて三十数軒の業者が入り、百人の女性がいたという。昭和33年の売春防止法施行以降は廃業されたという。
 武蔵新田駅前から多摩川の工場へ向かう商店街は私鉄沿線の工場地帯によく見られる昭和の町並み。駅近くには和風の銭湯も残っている。旧カフェー街は大型スーパーの裏手になっていて非常にわかりづらい位置にあった。目印はモルタル吹付けの外装の足もとに石板が貼られている一軒の建物。当時の建物で残っているのは、これともう一軒だけだ。
駅前の酒屋さん。
商店街の五差路(左)

多摩川沿いの工場地帯へ向かう商店街の入口あたり(左下)

駅前に残っていた和風の銭湯建築

大型スーパーの裏手のわかりづらい所にあった旧カフェー街。この角の1棟は残っている建物(下)

カフェー街時代の建物として残っているものは2棟が確認された。(上、左上)

この建物はカフェーとは関係なさそうだが、昭和のアパート(左)
駅近くの古い住宅
新田神社
商店街を抜けると中小の工場街である。
参考資料 リンク
大田区

参考文献
『赤線跡を歩く』 木村聡 自由国民社