神田
三崎町
三菱が丸の内と共に開発した明治期からの街

東京都
千代田区
三崎町2,3





交通
JR中央線水道橋駅下車






神田三崎町





2014.12.27


明治23年、丸の内が岩崎家(後に三菱社)に払い下げられたことは有名であるが、同時に神田三崎町の一角も抱き合わせで売られたことはあまり知られていない。下の地図は三菱が住宅地として整備した街区の様子がわかる地図である。(「丸ノ内百年のあゆみ」より)
現在の水道橋駅東口から南西方向へまっすぐに伸びる通りが商店街として計画されたもの。煉瓦造の長屋建築が連なっていたそうである。三崎町はその後三菱の手から離れ、関東大震災、戦災を経て現在に至る。戦前の面影は無いが、どことなく昭和な匂いのする街であり、日大法学部のある学生街、斜めの通りによって造られた鋭角の角地建築が特徴の町並みである。
水道橋駅東口から写真右手の斜めの通りを見る(上)

変形六叉路の交差点。南側が45度に刻まれる。(左、左下)


左の写真の右側にある茶色い建物の位置に東京館という劇場があった。
歌舞伎座、明治座と並び称された東京五大劇場の一つといわれていた。また筋向かいには川上座という中劇場もあり、六叉路は劇場街の趣だった模様。(画像は「丸ノ内百年のあゆみ」より)

現在は北東の角(90度角)に闘魂ショップがあった。(左下)
 
斜めの通りと水道橋西通りとの交差点に建つ鋭角のコーナー建築。基壇のデザインは旧建物の面影なのか?
斜めの通り最南端の交差点
斜めの通りは、西北-南東向きにもう一つある。その西北端の交差点。(左)

もう一つの斜めの通りの町並み(下)

もう一つの斜めの通りの町並み(上)

変形六叉路に面する闘魂ショップが思いがけないところから見えたりする。(左上)

このエリアは戦災に遭っているため戦前の建物は基本的に見られない。戦後のモルタル系看板建築が見られる。
トップの地図を見ると南の敷地に「日本法律学校」の文字が見られる。現在の日大法学部の前身。(左上)

戦前か戦後間もない事務所建築(左下)

日本橋川沿いの大きな事務所建築(左上)
街の西端は日本橋川(左下)
水道橋西口会館は昭和30年40年代の事務所建築か(上)

参考資料 リンク
千代田区

参考文献
出没!アド街ック天国 神田三崎