南千住 戦災のない東京 都電荒川線終点の町

東京都
荒川区
南千住1丁目
荒川1丁目




交通

都電荒川線三ノ輪橋駅、地下鉄日比谷線三ノ輪駅下車


国道4号線日光街道





南千住



荒川1丁目




2003.10.26
荒川区のあたりは、江戸時代市民の行楽地であった日暮里を除いては農村であったが、明治期ににって近代工業の導入に伴い、荒川の水運を背景に工場が立地する地区として発展を遂げた。1879年(明治12年)官営千住製絨所(現在都立南千住野球場)、1888年王子製紙、1893年東京瓦斯、ついで毛織、紡績などの諸工業が操業した。その後、食品、家具、ゴム、金属などの中小零細工業や卸売業が集中するようになり、住宅、商業、工業の混在する地域となった。南千住はそのような工場街の一つとして発展した。現在、唯一残って頑張っている都電荒川線の終点三ノ輪駅周辺から荒川1丁目にかけては戦災を免れた地域であり、密集した商業地の街区やレトロな建物が残っている。
都電荒川線三ノ輪橋駅(左)

三ノ輪橋駅周辺の町並み(下)

梅沢写真会館は洋風の戦前建築だが、下をパブリックな通路が抜けていて面白い。(上)
都電荒川線三ノ輪橋駅から北へ延びる通り、真正寺裏あたりが見所。(左上、左)
日光街道の大通りに面して高い建物が建つが、裏は戦災から逃れた町家が残る。
荒川1丁目も戦災から逃れた町。洋館を添えた近代和風住宅が残っている。
隅田川沿いのアクロシティ(高層マンション)の南側は戦災から逃れた町。
銭湯恵比寿湯。下町の銭湯は通りから引っ込んで建っているケースが多い。
参考資料 リンク
荒川区

参考文献