小菅 明治の東京の煉瓦を造った監獄のある町

東京都
葛飾区
小菅1





交通
東武伊勢崎線小菅駅下車






小菅




2016.03.05
綾瀬川が荒川に合流する三角地にある街。地名の菅(すげ)は茅(かや)のことで、低湿地のこの地に茅が多く茂っていたことが地名の由来という。江戸時代には狩猟地であって小菅御殿があった。その後、江戸町会所の籾蔵を建てたところで、32棟約60万俵の災害準備米が貯蔵されていた。江戸末期には小菅銭座が置かれ、四文銭が鋳造されていた。1869年(明治2年)には小菅県庁が置かれたが、県庁廃止(1871年)後、跡地に監獄とともに煉瓦工場が造られた。ここで製造された煉瓦は、丸の内の三菱一号館をはじめ明治期の洋風煉瓦造建築に使用され、東京の近代化を支えた。
現在は、東京拘置所がある町としてしられる。荒川と綾瀬川とを結ぶように直線の通りがあり、商店街が形成されている。通り沿いの建物には木造が多く、看板建築も見られる。どれが戦前でどれが戦後かは定かではない。
東武伊勢崎線小菅駅ホームから見た東京拘置所
東京拘置所の正門
かつての監獄で焼かれた煉瓦で塀が築かれている。
小菅一丁目の町並み
小菅一丁目の町並み
小菅一丁目の町並み

小菅ジャンクションが背景(上)
小菅一丁目の町並み(左上)
綾瀬川に架かるかつての水戸橋(左下)

草津湯
地元で人気のある魚屋さん

他では見られないような業態がある(上)
東京拘置所(左)

他では見られないような業態がある(上)
小菅監獄で焼かれた煉瓦
桜の刻印が刑務所煉瓦の証(左)
参考資料 リンク
葛飾区

参考文献