小島
台東
震災復興小学校に守られた下町の非戦災地区

東京都
台東区
小島1・2丁目
台東3丁目
鳥越1丁目
浅草橋5丁目




交通





台東


小島



2003.01.13
2009.07.05
1945年(昭和20年)3月10日、1665トンの高性能焼夷弾を満載したB29が、東京下町一帯を襲った。折からの強風にあおられた猛火は、激流のように道を走り家屋を貫き、いくつもの運河を越えて合流、たちまち巨大な火焰るつぼと化した。・・・被害は主として下町地区に集中し、特に本所区、深川区、城東区、浅草区の四区は、ほとんど全域に近く、下谷区、日本橋区、向島区がこれに続く。・・・3月10日空襲こそは、後の原爆による被害を除けば、通常兵器による史上空前の大惨事であった。
(「炎の夜から焼失地図帳へ」(早乙女勝元)より)
東京の下町はわずか142分間に焼土と化したという。まことに恐ろしく決して忘れてはならない戦争の記憶である。しかし、この日の風向きは北西方向からであったため、森や川、不燃建物の風下のエリアのいくつかは奇跡的に戦禍を免れた。
JR御徒町駅の東側、台東3丁目から小島1,2丁目、鳥越1丁目にかけての一帯は、下町でありながら戦災を免れることができた貴重なエリアである。この地域は、関東大震災の時に被災していたため、震災復興事業で次の災害に備えた都市計画がなされていた。通り幅は拡張され、ところどころにRC造による震災復興小学校が公園に隣接する形で整備された。学校+公園は災害時の防火帯になるとともに地域の避難場所にもなる。そして太平洋戦争での東京大空襲時にはこれらの施設が役割を果たし、風下の地域を戦禍から守った。下の地図の黒いところが戦災を免れたエリアである。
このエリアに足を踏み入れるといきなりタイムスリップをしたかのように、古い家屋が次々と出現する。いずれも震災後の建物であるが、これだけ残っているのは東京都内でも珍しい。
小島の町並み
2003.01.13
小島一帯を戦禍から守った小島小学校
2003.01.13

小島小学校のすぐ南側に残った木造2階+屋根裏部屋3階の建物。壁にスレートを貼った珍しい造りである。2003.01.13

数年後に再訪したらスレートが白から青緑に塗りかえられていた。
2009.07.05
小島の町並み
2003.01.13
小島の町並み
2003.01.13

小島・台東の町並み
2003.01.13
小島の町並み(上)
台東の町並み(左)
2009.07.05
台東の町並み
2009.07.05
浅草橋5丁目の町並み
2009.07.05
参考資料 リンク
台東区

参考文献