木挽町 江戸東京と芝居とともに発展してきた町

東京都
中央区
銀座1,2




交通

地下鉄日比谷線、浅草線
東銀座駅下車






木挽町





2009.09.20
旧木挽町とは中央区銀座の内、三十間堀と築地川との間の地区。江戸初期に江戸城大修理の工事に従事する挽職人を多く住まわせたところに地名は由来する。その後、寺や武家地、町人地も形成された。この地には山村座という芝居小屋があり、中村座、市村座、森田座とともに江戸四座のひとつに数えられた。山村座に変わり、明治期以降は晴海通りに面して歌舞伎座が誕生、4回の改築・改修を繰り返し、江戸期から続く歌舞伎の本拠地として町も発展した。現在はオフィスビルと住宅が混在する町となっているが、料亭や飲食店も続いている。
旧木挽町の範囲内で、歌舞伎座は太平洋戦争時に空襲により火が入り大屋根を失うほど内部が焼かれているが(戦後改修)、北部エリアは戦災を免れている。木挽仲通りには戦前の出桁造りの町家、銅板やモルタル吹き付けの看板建築などが点在して残されている。
歌舞伎座は関東大震災後の大正14年に岡田信一郎設計により建設された第3期の建物を、損後吉田五十八が改修した第四期である。2010年に取り壊し、第五期への建て替えが決定している。
木挽町仲通りに完全な姿で残る戦前の出桁造町家。
周りが完全に建て替わっているので、新旧の対比がすごい。(上、左上)
 

木挽町仲通りの町並み(左、左下)
昭和通りの近代建築(上)
 



木挽町北部、銀座タワー周辺の町並み
戦前の看板建築とタワーの対比もすごい
参考資料 リンク
中央区

参考文献