築地
場外市場
築地本願寺の門前町だった場外市場の町並み

東京都
中央区
築地4




交通

地下鉄大江戸線築地市場駅、日比谷線築地駅下車


晴海通り、新大橋通り





場外市場




2003.10.19
2007.07.26
築地は明暦の大火(1657年)後、築地本願寺移転のために埋め立てられたところで、四丁目はちょうど築地本願寺境内にあたり、五十八ヶ寺が並ぶ寺町だった。大正十二年の関東大震災で焼失してからは寺の維持も困難となり、また震災復興計画で晴海通りが本願寺の敷地を二つに分断し、十ヶ寺を残して他の寺は郊外に移転した。そして、海軍の敷地だったところに築地中央卸売市場が大正12年に建設されたことにによって、魚市場の付属商などが入り込み、寺院街は魚河岸商店街へと転換した。
さらに、場外市場は奇跡的に戦災を免れ、戦後の混乱期もあって寺の脇に小さな床店が入ることになった。寺の維持のためにも床下を賃貸して店の造作を許した。こうして、現在の魅力的な場外市場の空間が誕生したのである。
数年前までは早朝だけが賑わう町であったが、現在では一日中観光客らでにぎわう街となった。築地市場の豊洲移転が決定しているが、場外市場はこれからどう維持され変化していくのであろうか。
築本願寺は昭和9年に晴海通りの延長の際、向きを90度変えて建て替えられた。
本願寺へ向かうかつての参道
アイストップに築地本願寺の側面が見える
震災後日本橋魚河岸が移転してできた築地市場に付随した卸売店舗は、かつて築地本願寺の門前にあった寺町の中に密集してできた。だから寺の縁の下に店が入り込んでいる。
町の建築は全てが震災後のもの。一方、戦災に遭っていない。したがって看板建築やマンサール屋根の建物がたくさん残っている。
かつての参道に面するレトロなビル
看板洋風建築も見られる。
表は看板で背後が木造3階建のマンサール屋根。
マンサール屋根と銅板看板建築
銅板看板建築
新大橋通りのアーケード。早朝は市場で働く人々を相手にした飲食店が建ち並ぶ。
画像右手の乗り物は早朝の市場で大活躍
参考資料 リンク
中央区

参考文献