1945年(昭和20年)3月10日、1665トンの高性能焼夷弾を満載したB29が、東京下町一帯を襲った。折からの強風にあおられた猛火は、激流のように道を走り家屋を貫き、いくつもの運河を越えて合流、たちまち巨大な火焰るつぼと化した。・・・被害は主として下町地区に集中し、特に本所区、深川区、城東区、浅草区の四区は、ほとんど全域に近く、下谷区、日本橋区、向島区がこれに続く。・・・3月10日空襲こそは、後の原爆による被害を除けば、通常兵器による史上空前の大惨事であった。
(「炎の夜から焼失地図帳へ」(早乙女勝元)より)
東京の下町はわずか142分間に焼土と化したという。まことに恐ろしく決して忘れてはならない戦争の記憶である。しかし、この日の風向きは北西方向からであったため、森や川、不燃建物の風下のエリアのいくつかは奇跡的に戦禍を免れた。
JR上野駅の東南にあたる東上野一帯は、風上に巨大な緑の上野公園を控えていたため下町でありながら奇跡的に残った場所の一つである。そこには、戦後60年を経た今でも見事に戦前の町並みが残っている。この地域は、大正12年の関東大震災では被災しているため、町並みは震災復興の町並みである。区画整理された町割りに銅板やモルタル系の不燃看板建築や出桁造りの町家が随所に残っている。見どころは下谷神社周辺であろう。 |