白山 大正期の指定地ラッシュを先導した山手の花街

東京都
文京区
白山1





交通
地下鉄三田線白山駅下車





白山




2008.02.02
 現在の文京区白山は、旧小石川区指ヶ谷町、白山前町などを合わせた新しい地名で、地域内にある白山神社に由来している。旧指ヶ谷にはかつて花街史上重要な花街があった。
 明治期、幕藩体制の転換とともに武家屋敷地の土地利用転換の一つとして花街の形成があった。しかし、明治後期に風紀取り締まりのために指定地以外の私娼街は存続できなくなった。つまり、取締りを始めた時期にそれまであった「慣例地」だけに限定され、明治末期まで都心部では新たな花街が生まれることはなかった。
 そんな花街の増殖を抑制していた明治期 小石川で酒屋・飲み屋を経営したいた秋本鉄五郎という人物が、三業地指定の許可を再三警察に申し出ながら政治的な手段も使って明治45年に指定地許可を勝ち取った。こうして生まれたのが白山の花街である。白山は樋口一葉の『にごりえ』の舞台となっていた私娼の街という下地はあったものの公に認められていた場所ではなかった。それまで既存の営業を行っていなかった場所には許可をしないという原則を破り、白山に三業地二業地指定の許可が下ったことは、大正期に多くの新花街を誕生させるきっかけとなった。昭和初期で、芸妓置屋160軒、芸妓60人、料亭39軒。

 都営三田線春日駅と白山駅の間、白山通りの一本東側に商店街がある。その商店街と本郷台地との間のエリアが旧白山花街である。戦災からも免れているため花街時代の細い路地に木造2階建ての建物が結構残っている。外装は下見板張り系が多く屋号が刻まれているものもある。戦前の家屋がこれほど残っているのもすごいが、花街時代の空間がこれほど色濃く残っているのは驚きだ。


石畳の路地(左)

屋号が刻まれた欄干(上)
この一角が一番の見どころ。路地にしか面していないため建て替えが進まなかったと思われる。従って並んで残っている。(左、左上)

旧白山花街(指ヶ谷)の町並み
本郷台地上の西片方面に続く石段
いわゆる銭湯建築が残っていた
通り沿いの町並み
参考資料 リンク
文京区

参考文献
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社