阿佐ヶ谷 震災以降に開発された新興住宅地の商店街

東京都
杉並区
阿佐谷南1
阿佐谷北2





交通

JR中央線阿佐ヶ谷駅下車徒歩





阿佐ヶ谷





2011.02.13
江戸時代、阿佐ヶ谷村は幕府直轄の天領だったが、寛永期に日枝神社ができると幕末まで山王日枝神社領となった。この地の地勢が、桃園川の浅い谷地だったことから浅ヶ谷⇒阿佐ヶ谷と呼ばれた。
現在の阿佐ヶ谷駅から南へ延びる中杉通りの一本南側の商店街パールセンターは、かつては権現道と呼ばれる古道である。大正11年に阿佐ヶ谷駅が開通すると同時に三間に広げられた。翌年、関東大震災が起こり、市内から郊外へ移住する人たちで杉並は新興住宅地へと変貌、その後目覚ましく発展した。中杉通りは戦前、補助133号線として計画されていたが、昭和20年の春、太平洋戦争が激しくなり空襲必至となったため、計画道路を防火帯にし昭和27年に整備され都道として開通した。
阿佐ヶ谷は戦災にあっていないということで訪れたが、戦前のものと確定できる建物は少なく、そのような町並みつぃては認識できない。しかし、青梅街道と大正期に貫通した阿佐ヶ谷駅とを結ぶ商店街は、昭和の街としての雰囲気が感じられる心地よい空間であった。

青梅街道のパールセンター入口
 
パールセンター商店街の町並み
この建物は戦前かな?(上)

アーケード屋根のデザインが面白い(左)

パールセンターの町並み

中杉通り(左下)
 
パールセンターの町並み(左)

「お茶」「海苔」「鰹節」松美園

パールセンターの駅前のゲート


阿佐谷北の町並み

阿佐谷北の中杉通り
参考資料 リンク
杉並区

参考文献