新井薬師 薬師参りの遊興地として賑わった「薬師芸者」の町

東京都
中野区
新井1




交通
西武新宿線新井薬師駅下車徒歩




新井薬師




2008.02.23
新井薬師は通称で正式には「梅照院」というお寺。御本尊は薬師如来と如意輪観音の二佛一体の黄金仏で、そのご利益は徳川二代将軍秀忠公の第五女和子(東福間院)がかかった悪質な眼病を祈願して快癒したことなどから「眼の薬師」、第五世玄鏡が如来の啓示によって小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれ、古くから江戸の庶民信仰を集め門前は大変賑わっていたという。江戸からの参道は南東から、鉄道ができてからの参道は北東の西武新宿線新井薬師駅からになる。
人が集まるところには必ずモノ・食・遊の消費する場ができるわけで、商店街は両方の参道に沿ってL字型に形成されている。そして遊里はといえば、門前の薬師柳通りと薬師銀座との間に形成された。古くは「薬師芸者」として知られていたが、昭和41年当時で芸者50人、料亭15軒ほどがあったという。薬師銀座商店街から路地を入っていくとスナックや居酒屋、質屋の看板が現れるから間違いなく遊里とわかる。外壁にモルタルを吹き付けたカフェー調の店もあれば色気のある意匠が施された和風の住宅も点在する。それは薬師柳通りの対岸までみられたので、古くは割と広範囲であったのだろう。
新井薬師と呼ばれている梅照院。眼と子育てのご利益があるということで古くから信仰が篤い。

西武新宿線新井薬師駅から門前までの商店街。(上、左上)

銀座商店街は門前から南東方向(江戸方向)へ延びる商店街。その脇の路地を入っていくと、農地から宅地化が進んだ最街路の住宅地である。このような戦前の住宅も多い。(左)

銀座通りと薬師柳通りとの間の町並み。店の看板、建物に色気のある意匠が施されていることから遊里であったことが分かる。

路地には共同の井戸が残っていた。(上)

和風とカフェー調の両方の建物が見られる。(左上、左)

「薬師芸者」と呼ばれていたことから花柳界があった。この家には「花柳流」の看板があった。(左下)

柳通り沿いの飲食店(左)
参考資料 リンク
中野区

参考文献
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社