足尾 光と影の歴史をもつ日本四大銅山の産業町

栃木県
日光市
足尾町
赤倉
掛水
通洞




交通

わたらせ溪谷鉄道足尾駅、通洞駅下車






足尾赤倉


足尾掛水


足尾通洞



2010.08.07
2011.12.10
足尾は小坂(秋田県)、別子(愛媛県)、日立(茨城県)とともに日本四大銅山に一つ。銅山は、1610年(慶長15年)に発見され、江戸時代は幕府直轄領であった。1877年(明治10年)以後は古河鉱業が経営していたが、1973年(昭和48年)閉山、360余年の歴史を閉じた。渡良瀬川段丘上に鉱山集落を形成し、本山、小滝、通洞の3抗を中心に銅・亜鉛・硫化鉄を産出した。開発以来、製錬所の排水・亜硫酸ガスが広範囲に被害を与え、日本の公害の原点と称された。
明治期に銅山の再開発が始まると、渡良瀬川上流奥の赤倉・間藤には各地から人が集まり、短期間に商店街が形成された。赤倉は、明治40年には約140軒の店が軒を連ねるまで成長したが、同年の大暴動事件により銅山機能は本山から通洞に移動し、それにともない中心地も移動した。大正5年(1916年)には足尾町の人口は4万人弱となり最盛期を迎えるが、以後徐々に衰退し昭和48年に閉山、赤倉は現在は200人弱の小集落となった。
現在の足尾は、町村合併で日光市に属し、近代化遺産としての鉱山施設の遺構を柱とした観光化を図っている。坑道や変電所、鉱山住宅などの鉱山施設、古河鉱業の社宅街、迎賓施設など産業町、企業城下町としての見どころが多い。
通洞地区の坑道入り口
「足尾銅山観光」として公開されている。(写真提供:東京都S氏)

通洞地区の町並み
通洞駅近くで見かけた座敷蔵 
通洞地区に残る煉瓦造の建物(左)と変電所跡(上)
銅山住宅
銅山住宅
(写真提供:東京都S氏)
本山地区の足尾精錬所跡
 
愛宕下銅山住宅跡
明治20年の山火事の跡地が銅山住宅地として開発され、その後変遷を繰り返し昭和31年には181世帯819人の人口となった。以来、減少し現在数世帯が残るのみ。
黒いレンガの防火壁が往時をしのばせる。

赤倉集落の町並み
赤倉集落の町並み
大正期までは足尾の中心市街地だった。
古河橋
明治中期までに建設された道路用鉄橋。
上の平社宅跡
古河掛水倶楽部
明治32年(1899年)頃に建築された洋館。
古河鉱業の社宅街
足尾駅前には古河掛水倶楽部や社宅街があり、古い幹部社宅も残っている。
参考資料 リンク
日光市

参考文献