三島 下田街道の起点 三島大社前の門前町

静岡県
三島市
大社町
中央




交通

JR東海道線三島駅下車徒歩






三島





2007.05.26
富士の裾野に立地する三島は、三島大社の門前町を母体とし、付近の農作物の集散地として発展した。江戸時代は東海道の宿場町で、伊豆半島への下田街道の分岐点でもあった。また三島は、市内の随所で富士山の伏流水が湧き出す湧水の町でもある。中でも柿田川は有名である。
歴史的な町並みは三島大社の周辺に僅かな面影を残している。旧東海道は道路の拡幅がなされているようで、三島大社側(北側)に数件の出桁造りの民家が残っているに過ぎない。旧東海道の三島大社の前から下田街道が分岐している。伊豆半島への古い道は、熱海から東海岸を南下するルートと三島から中伊豆を経て下田に至るルートがあった。東海岸のルートは断崖などがあって険しく小田原から下田まで4日を要したが、中伊豆のルートは3日だったのでこちらの方が人気があったといわれる。三島大社の参道に軸を重ねる下田街道は商店街で銅板などの看板建築が見られる。看板建築は、関東大震災後に東京を中心に建設された店舗建築様式である。
箱根を越えた旧東海道は箱根山の裾野を三島に向かって一気に駆け下りる。その途中から眺めた富士山。
三嶋大社は伊豆国一ノ宮であり、総社も兼ねていたとされる。源頼朝は伊豆流刑時代から当社を崇敬し、鎌倉幕府制立後は伊豆山・箱根とともに当社を重んじた。中世以降は武家や庶民の信仰を集め、当社で発行された「三嶋暦」は全国に知られている。

下田街道は三嶋発祥の商店街で、関東大震災(1921年)以降に東京を中心に流行した看板建築が見られる。

下田街道の町並み
下田街道の町並み(左)


旧東海道は道路が拡幅整備されているようで、古い町並みは三嶋大社側(北側)に僅かに面影を残している。(下)

石と漆喰の蔵があった。伊豆半島の特徴である漆喰の海鼠壁と伊豆石が使われた民家。三嶋は伊豆の玄関口である。(左)

三嶋大社門前に「名物うなぎ蕎麦」とのれんが掲げられていた店があったので賞味した。うなぎは三嶋の名物である。(上)
参考資料 リンク
三島市

参考文献