大津 陸と湖の交通の結節点に発展した宿場町

滋賀県
大津市
三井寺町
長等1〜3
京町1〜3
中央1〜3
松本1,2
石場



JR東海道線
大津駅、膳所駅、
京阪三井寺駅、浜大津駅、石場駅、下車


国道161号線




東海道札の辻


琵琶湖疎水


北国街道


石場

東海道札の辻付近の町並み
  
667年〜771年、天智天皇が琵琶湖の南西端に大津京(滋賀都)を設置したのが都市としての大津のはじまり。琵琶湖の海上交通と東海道、中山道(古くは東山道)、北陸道を集めた交通の要衝として発展した町である。旧市街の中心部は琵琶湖に近い京阪浜大津駅周辺に広がり、JR大津駅周辺は業務地区、間に旧東海道と北国街道が通る。
大津のまちは、琵琶湖畔から山に向かって一様になだらかに傾斜していて、湖畔と平行な層状の都市構造だ。旧東海道をはじめとする湖畔に平行な通りは等高線に沿っておおむね平らだが、湖畔に垂直な通りは琵琶湖に向かって一直線に下っている。
京都を出発した東海道は山科、逢坂の関を越えて視界の開けた琵琶湖へ向かってまっすぐ下る。まっすぐ下る東海道は現在の国道161号線に重なっている。国道161号線は道路中央を京阪電車が走る大通りで、こういう通りは今ではなかなか珍しくなった。札の辻で東海道は右へ折れ東へ進み、辻を起点とする北国街道は北西へ進む。この札の辻をセンターにして、旧東海道と旧北国街道とその琵琶湖側のエリアに古い町並みが見られる。旧街道の山側には寺が多く、湖側は町という構成。おもしろいのは、街道が川が横切るところにきまって遊郭らしき町が形成されていることである。
大津は、平成15年、全国10番目の「古都」に指定され、景観整備が進められている。琵琶湖の水と山の緑が通りのアイストップに見え、お寺の屋根が見え隠れする風光明媚な都市である。
路面電車(京阪京津線)が走る国道161号線。
画像の先の信号が札の辻交差点で、東海道から北陸道が分岐する追分。
札の辻で東海道から分岐した北国街道はしばらく西へ進み山にあたって北へ進路を変える。進路を変えてちょっといったあたりに面影を残す町並みが見られる。このあたりは寺町なので、町並みの背後はお寺が多い。
北国街道の町並みを過ぎろと北国橋で川を渡る。橋の下は琵琶湖疎水で、琵琶湖からの取水地には水量を調整する石垣の水門が設けられている。ここから山に向かって一直線に伸び、山をトンネルで抜けて京都にいたる。
琵琶湖疎水は、明治24年に当時の京都市の予算の十倍もかけて造られたが、その設計に抜擢されたのは大学出たての青年技師田邊朔郎で年齢はなんと21歳。当時の大卒生は偉大だった。

琵琶湖疎水周辺はとても風光明媚な場所。川沿いには旅館や屋敷が建ち並んでいる。
北国街道の東側、長等3丁目あたりの町に入ると変わった建築が並んでいた。窓の形、2階の欄干、建具の意匠などから紛れもなく遊郭である。
寺町の中に小さな川が流れており、その川縁あたりに遊郭が形成されたらしい。
長等3丁目の旧遊郭の町並み。画像の通りを東へ進むと、南北の通りと交差するが、その通りが現在も夜の飲食店街となっている。
旧東海道、札の辻から大津駅前大通までの間にみどころの古い町並みが見られる。
関東で見られるいわゆる看板建築は関西以西では見られない。しかし、京都にはコの字洋風ファサード建築(看板建築の一種)が地域限定で存在する。ここ大津の街角にも余波が見られた。
(旧東海道 京町1丁目)
大津駅前通りから東側の旧東海道は一直線で、ところどころに戦前のものと思われる町家が見られる。
(旧東海道 京町4丁目)
旧東海道と平行して湖側に通りが2本走っていて、そこにも古い町並みが見られる。画像は湖側2本目の町並み。中央の大きな屋根は変わった町家と思いきや安養寺。
(松本2丁目)
松本2丁目あたりの旧東海道の湖側の一角。このスタイルから遊郭か旅館建築だったようだ。ここも脇を川が流れていた。(暗渠化していた)。
旧東海道沿いの町並みに琵琶湖地方でよく見かける入母屋妻入民家のクリーニング店が残っていた。旧市街を離れた街道沿いは、このような家が建て並んでいたのであろう。
(松本2丁目)
旧東海道と平行の2本の通りは、石場付近ですべて旧東海道に合流する。
石場の京阪電車踏み切り西側に、真ん中に蔵を据えたいい町並みが見られる。
参考資料 リンク
大津市



参考文献