追分 旧東海道 奈良街道を分ける山科追分の町並み

滋賀県
大津市
長等
京町
松本2



京阪電鉄京津線追分駅下車


国道1号線



三条大橋を起点にする旧東海道を江戸方向へ進み、山科の商店街を抜けてしばらく行くと山科追分(大津追分)の街道町である。大阪、奈良方面から伏見を通ってやってくる奈良街道がここで東海道に合流する。現在の東海道である国道1号線は片側2車線のバイパス幹線となっておりビュンビュン車が走って騒々しいが、旧街道はすぐ隣を通っているのに静かである。京阪京津線の追分駅を降り、国道1号線の下をくぐって渡ると、見上げた小高い位置に町並みが見える。そこが旧東海道である。
旧東海道の追分は宿場ではないが、街道の分岐ということで賑わったのであろう町並みが続いている。よく見ると古い民家は多くはないが、通りにやや傾斜があり緩やかに曲がっているためか、街道町らしい町並みとなっている。
方光山閑栖寺
寺の入り口の前に「車石」が置いてある。
東海道大津八丁(札の辻)から京三条大橋までの約3里の間、物資を輸送する牛馬車の通行を楽にするため花崗岩に溝を刻んで切石が敷きつめられていた。
閑栖寺前から大津方面を見る。古い建物は少ないが街道らしさを感じる町並みである。
追分の分去れより旧東海道の京都方面を見る。
奈良街道の分去れ。
右が東海道、左が奈良街道。
京阪京津線追分駅ホームにある「伊勢参宮名所図会」寛政9年(1797年)。
寛政時代の大津追分の賑わい。左から二軒目が大津絵の店。
大津絵は、江戸時代初期の寛永年間(1624-1644)頃から描かれ、最初は仏画、やがて世俗画となり、道歌を伴った絵となっていった。
分去れ近くの家。2軒がくっついており、真ん中の玄関はおそらく奥の住宅のものであろう。
もともと住宅か、それとも店か。
追分の町並み。
画像右手は低くなっており、国道1号線バイパスがビュンビュン走っている。
参考資料 リンク
大津市

参考文献