熊谷遊里 関東平野の工業都市に形成された遊里

埼玉県
熊谷市
伊勢町
本石2
鎌倉町




交通
jR高崎線熊谷駅、秩父鉄道上熊谷駅下車徒歩






熊谷





2003.9.15
2009.2.7
2009.2.14
熊谷の中心市街地は江戸時代の中山道の宿場町から発展した。1876年〜1879年は熊谷県の県庁所在地であり、現在も埼玉県北部の中心地となっている。生糸、製粉の町から鉄・銅・セメントの町へと変わった。さらに1961年(昭和36年)に工業衛星都市に指定され、重化学工業へと移行している。
宿場町は現在は国道17号線に重なっており、街全体が戦災に遭ったことから中心部に戦前の面影はない。高崎線と国道17号線との間に商業機能が集中している。
一方、遊里は大正8年に指定された私娼街が生まれた。大正14年に大火で全焼し、熊谷堤の西側の町から離れた農地の中に新しい遊郭がつくられた。それは吉原仲之町をモデルにしていたようで、大通りに妓楼が建ち並んでいたという。現在は伊勢町にあたり、何の変哲もない住宅街に突如大通りと残っている妓楼があるからわかる人にはわかる。
旧遊郭跡を訪ねて3回熊谷を訪れている。上熊谷駅近くという情報だけであったため、駅北側の本石町を間違えて歩いてしまった。
本石町の民家。このあたりも旧遊郭の匂いがしないでもなかったので間違えた。

秩父鉄道上熊谷駅(上)

上熊谷駅近くの商店街(左上)

上熊谷から旧遊郭の伊勢町に向かうところ。商店街から離れて美容院があったりするから旧遊郭の入口か?(左下)
旧遊郭(伊勢町)の中央大通り
大型の妓楼は一軒だけ残ってた。昭和50年代頃までは、三棟が並んでいたという。

伊勢町の旧妓楼

伊勢町の旧妓楼
大通りが狭くなるところなので旧遊郭の端であろう。
遊郭跡の町並みのバックには上越新幹線の高架。(上)

裏側には遊郭の面影を残す塀があった。(左)
大通りの町並み
裏手にあった居酒屋。住宅地なのにこういう居酒屋が場違い的にあるのが、場所の地霊なのか。
参考資料 リンク
熊谷市

参考文献
「赤線跡をゆく」(木村聡 自由国民社)