呼子 松浦半島の入江に面する細長い港町

佐賀県
呼子町
松浦町
宮町
釣町




交通

JR唐津線西唐津駅よりバス

国道204号線




松浦町、宮町、釣町




2003.12.28
松浦半島の北端、壱岐水道に臨む天然の良港。呼子湾の入江に位置し、古くから大陸交通の要地、捕鯨船の根拠地として繁栄した。江戸期には特権を持つ商人がいなかったため、他国の商人が移住してきたという。
入江の最奥部には密集した漁師町で、午前中は朝市で賑わっている。その朝市を見ながら通りを北へ歩いていくとだんだん人気が無くなる。しかし通りは延々と続き、これが全長約1.5kmの細長い呼子の町である。入江のまわりは奥行きの少ない平地で、背後の崖の地形に沿ってうねる町並みである。途中朝市が終わったあたりに捕鯨で財を成した中尾家住宅がある。中尾家の向かいの崖の上を見ると、そこにちょっと変わった建物が密集している。ここは建物のかたちから遊郭であったと思われる。捕鯨で栄えた頃、港を見下ろす眺めの良い場所に形成されたのであろう。
延々と続く町並みは基本的に両側一皮で、崖側は奥行きが狭く海側は広い。途中に商家や屋敷、寺社、銀行などが1次元で展開するところが面白い。
国道204号線の町の入り口。右手の「日本三大朝市 歓迎 朝市通り」のゲートをくぐると延々と町並みが続く。
朝市が開かれる松浦地区
訪れたのは朝市の終わる時間であったが、それでも大勢の人で賑わっていた。朝市の賑わいに目を奪われるが、町並みとしても結構古い。

中尾家旧宅
中尾家はかつて小川島鯨組主として栄え、初代甚六が宝永・正徳年間に突き取り捕鯨を始めたといわれている。初代中尾甚六の出身については、秀吉によって筑波に追放された波多三河守親の家臣と伝えられている。中尾家は8代に渡り組を出した。この旧宅は7代目の時に描写された絵図(天保11年)に見られ、その屋敷は周辺一帯に及んでいたものと考えられる。




中尾家の向かいの崖上の集落(中・下)
眺めのいい立地、建物の形態や玄関や窓周りのディテール意匠から遊郭であったと思われる。
下の写真の階段を上がっていくと崖上の集落にも集落がある。
かつては銀行だったのであろう。現在は美容室。
煉瓦造の町家
主屋、中庭、付属屋の一連が煉瓦造。山側(通り側)と海側のファサードが違う。
メインストリートの北端付近の町家
呼子町家の形態は基本的に平入中二階建で、中二階部分は漆喰壁に少ない開口が開いているスタイル。
人気の無い町並みの北端まで歩いて海に出たら一転してにぎやかな朝市が開かれていた。
参考資料 リンク
呼子町

参考文献
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社