神明 一列一直線に並ぶ有明海の干拓地集落

佐賀県
有明町
神明



交通

国道444号線




神明




2003.12.29
有明海に北部の干拓の歴史は室町時代に始まったといわれ、本格的に行われたのは江戸時代以降である。「○○篭」「○○搦」などの地名が残り、「○○本松」といった地名は江戸時代の干拓の名残である。明治時代の干拓はおよそ現在の大字を単位とした7ヶ村があり、その内の3村が合併して有明村、後の有明町が誕生している。
昭和になって国営の干拓地が起工したのは昭和3年。有明工区は昭和18年に干拓潮止めが完了し、29年から入植が始まった。干拓地は海岸線を軸に整然と区画され、集落は海岸線に並行に一直線に並ぶ。このような路村型の集落は、屯田兵村や新田開発などで見られるが、ここでは道の片側(北側)だけに並んでいるのが特徴である。
各戸の敷地の大きさや家屋の配置は似通っていて、通りに面して作業小屋やガレージを配置し、主屋は前庭を持って引っ込んで建っている。主屋の形態は、層2階建てもあるが、妻入りの2棟に分けたものが多い。
神明集落の遠景。一列なので棟が重なり合わないシルエット。
表通りの町並み
南側は畑。北側は付属屋が並ぶ集落景観。
主屋の形態は、層2階建てもあるが、妻入りの2棟に分けたものが多い。
参考資料 リンク
有明町

参考文献
『日本の集落 第3巻』 高須賀晋・畑亮夫 建築資料研究社