鹿島 有明の丘陵上に形成されたくど造りの武家屋敷町

佐賀県
鹿島市
高津原




交通

JR長崎本線肥前鹿島駅下車

国道207号線




高津原




2003.12.29
有明平野にある鹿島の城は、かつては北鹿島の常広にあり、土地が低く度重なる塩田川や鹿島川の洪水に苦しめられてきた。そこで、幕府に願い出て許可を得、文化4年(1807)、現在の高津原の丘陵上に、藩主の館と家臣たちの屋敷を移転させた。城は舌状丘陵の先端部に位置し、自然の地形を利用しながら築城された平城であった。
本丸の四周には四つの門と武家屋敷町が配置されたが、中でも南側は土塁と空濠とで画し土塀が150M続く町並みで、格式ある佇まいを見せる。武家屋敷の主屋には、肥前地方の特色であるくど造りが多く見られる。
鹿島鍋島藩の幕末期の家老原家の武家屋敷。表門が市の指定文化財になっている。
向かいは鹿島城の空濠で、土塀は延々150M続いている。
本丸の北側にあたる赤門
門の中は鹿島高校になっている。
城内に建っている鹿島高校の校舎。
本丸北側の武家屋敷町。台地の地形に従ってまっすぐ北へ伸びる。台地の下は町人地となる。
武家屋敷町に建つくど造り民家。
表側から見ると四角い屋根に見える。
上の民家を裏から見る。このくど造りはコの字型で棟の間は小さな屋根がかかる。
本丸東側の武家屋敷町。
本丸東側の武家屋敷町
この家はくど造りでなく直家。棟や軒がそりあがっているのがこの地方の草葺屋根の葺き方の特徴。
参考資料 リンク
鹿島市

参考文献
『図説 日本の町並み12 南九州・沖縄編』 太田博太郎他 第一法規