有田 世界有数の陶磁産業で繁栄した町並み

佐賀県
有田町
有田内山



交通

JR佐世保線有田駅下車

国道35号線




有田内山




2003.12.28
有田の起源は、陶祖李参平がここに磁鉱を発見し窯を開いた元和2年(1616年)に遡る。有田内山の町並みが形成され始めたのは、皿山代官所が開かれて、赤絵付けの技法が開発された跡の寛文から元禄年間(1661〜1704)頃からといわれている。しかし、繁栄した町並みは、文政11年の台風と同時に発生した大火によって根こそぎ失われた。その後町は即座に復興し、災害の教訓からしっかりした質の高い建築が建てられた。現在の町並みは、その災害復興後の町並みを基盤とし形成されたものである。
明治期になると、外人貿易商相手のゲストハウスやショールームとして洋風建築も逸早く建てられた。昭和3〜7年(1928〜32)になって表通りが拡幅され多くの町家が建て替えられたが、曳家したり前面を切り取って改修するなどの対応を行った家も多く、伝統的な町並みが守られている。
町並みを形成する町家は、妻入や平入、切妻や入母屋、高さの高いもの低いもの、洋館を併設するものなど様々である。それは有田が、長い期間繁栄し続けている町であることの証でもある。
札の辻近くの町並み
現在の有田の町並みは通りに面して壁面が並んだものだが、元は前庭を持つ家もあったらしい。昭和初期の国道拡幅の際に敷地前面が道路となった。その際、単純に前庭が無くなったり、建物前面が削られたり、曳家したりするなどの対応がなされた。
香蘭社の陳列館
外人貿易商相手のショールーム
赤絵町の今泉今右衛門家
外山の酒井田柿右衛門が赤絵磁器の技術を発見すると、鍋島藩は秘密を守るため、赤絵付け技術を知る家柄を一箇所に集め赤絵町を造り囲んだ。
今泉今右衛門家もそのひとつで、妻入ながら通りに面して平入のように構えるこの地方独特の町家形態。(道路拡幅の際は前庭が無くなっただけで対応)
国道拡幅後に建てられた昭和初期の大型の商家。2階が高く四方出桁の軒裏まで黒漆喰で塗込めた重厚な外観を呈している。
札の辻東側の町並み
大型の町家は少なくなる。
泉山への二股交差点近くに建つ深海家(幕末)
切妻黒漆喰のシンプルな町家で、プロポーションが美しい。
内山の表通りから北へ入ったところに「ドンバイ塀」のある通りがある。
画像はその近くの岩尾磁器の工場。岩尾磁器は陶磁器の技術から発展した建築建材のタイルを生産している。
宮内庁御用達の深川製磁株式会社
安政以来、外国貿易に従事してきた有田の田代紋左衛門は、万延元年(1860)に藩公より貿易の一枚鑑札を手にし、有田焼輸出の利権を独占した。その独占権を活用して、長崎・出島に商館を設け、横浜・上海・ニューヨークにまで進出した。そして、外国人の間で絶大なる信用を得、巨額の富を得た。
「異人館」は陶磁器の買い付けに訪れた外国人のための宿泊・接待所として、明治9年に紋左衛門の長男、助作が建てたものである。
参考資料 リンク
有田町

参考文献
『図説 日本の町並み11 北九州編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 中国・四国・九州・沖縄編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『歴史遺産 日本の町並み108選を歩く』 吉田桂二 講談社
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社