梅田 戦後の巨大闇市跡を再開発した70年代の町並み

大阪府
大阪市
梅田1
西天満2




交通
JR東海道本線大阪駅下車徒歩ほか





梅田

戦災のない大阪マップ




2009.09.05
梅田は、「埋め田」の転訛ともいわれ、明治以前は市街地北部で墓地のある寒村だった。1874年(明治7年)に淀川の後背湿地に梅田駅(現大阪駅)が開設され大阪の玄関口となる。阪急と阪神の梅田駅の開設に合わせて両デパートが開業、駅前には第一生命ビルなど高層ビルが建設され、背後には繊維問屋街が形成された。また駅前の道路下には大地下街がつくられ四方八方に伸びている。現在見る梅田駅前の近代的なビル群の建っているエリアは、かつてダイヤモンド地区と呼ばれていた。上から見るとダイヤモンドに似ていることからそう呼ばれていたのだが、戦後の闇市に端を発する不法占拠による木造バラック街であった。1970年代より行政主導により再開発がすすめられた。再開発によって誕生した建物は、阪神百貨店梅田本店、大阪第一生命ビル、ヒルトン大阪、大阪マルビル、新阪急ビル、大阪駅前第1ビル〜第4ビルなどである。そして、これらのビル同士は道路下の地下街(ホワイティうめだ、ディアモール大阪、堂島地下センター)で結ばれており雨にぬれずに自由に移動できる。既成市街地でありながらこのような都市計画的な複合都市が誕生したのは、一時期に一気に再開発されたが故で、30年以上経たダイヤモンド地区は我が国の高度成長期の面影を感じるダイナミックな立体都市となっている。


わが国のモダニズム建築の代表作 大阪中央郵便局(昭和14年) 吉田鉄郎設計
現在改築を待っている。

大工事によって改築された阪急百貨店うめだ本店
かつてのイメージを継承したデザインを採用している。

阪神百貨店
こちらは従前からのビルの大阪駅側のみ外壁改修したもの
ダイヤモンド地区の再開発によって生まれた新阪急ビルディング
アルミの平板が製造できない頃にスパンドレル材を駆使した外装は時代を感じる。(上)
大阪駅前第1ビル〜第4ビル

大阪市により計画建設された複合ビル群。
都市計画・建築計画の当時の考え方を大胆に採用した複合ビル。地下から低層部までは商業機能、その上を業務機能とし、人は地下からのアクセスをメインとし接続している。一方、駐車場は地下ではなく低層部の屋上に配置するという現代では考えられない構成。
第3ビルは140mの超高層ビルで、長い間西日本で一番高いビルの座を守っていた。




大江ビルヂング(西天満2)
御堂筋の大江橋(堂島川)近くにある近代建築(昭和10年)。
大阪には近代事務所建築が多く残っているが、中でも大江ビルの内部は手つかずのところが多く実に大切に使われている。

曾根崎変電所(大正11年)はとってもセクシー?なデザイン
大江ビルの内部(右)
参考資料 リンク
大阪市

参考文献