船場 戦災のない大阪 新旧が同居する大阪一の業務地

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船場

戦災のない大阪マップ
船場とは、淀川分流土佐堀川の南で、東西は東横堀川と西横堀川(埋立)に、南は長堀川(埋立)に囲まれた地域をいう。豊臣秀吉が大阪城下町経営のために、これらの運河を掘り、堺商人を集めて開発した。地名はその頃船着場であったことに由来する。街区は東西の通りと南北の筋によって碁盤目状に区画され、東西の北浜通りに証券街、高麗橋通りに銀行街、道修町通りに薬種、本町通りに繊維、南久宝寺町通りに小間物・化粧品、安堂寺橋通りに金物の各問屋街が発達した。一方、南北には御堂筋のビジネス街、丼池筋の繊維問屋街、堺筋のラシャ生地問屋街がある。

太平洋戦時下の1945年3月13日、大阪の中心部は大空襲を受けた。しかし、船場の北部、土佐堀川から淡路町通りあたりにかけては戦災を免れた。ここは大阪経済の中心地でもあり、新しいオフィスビルや都心型マンション開発も進んでいる一方、傍らに戦前の建物が実によく残っている。新旧建築が同居するこのエリアこそ、「戦災がなかったら大阪は?」の問いに答えてくれる町並みだといえよう。

堺筋の町並み

大阪証券取引所(昭和10年)
一部を保存し建て替えられた。
(東京asaboさん提供)

堺筋の町並み

堺筋はまさに大阪!
コテコテ系の近代建築の見ごたえがあり。

生駒ビルヂング(昭和5年)

堺筋の町並み

高麗橋ビルディング(昭和2年)(上、左)

旧小西儀助商店(明治36年)(下)
こういう大店の町家建築が中心部の大通りに面して残っているところがすごい!

堺筋の町並み

川崎貯蓄銀行(昭和6年)
今橋町の町並み(上)
大阪市立愛珠幼稚園(明治34年)

船場には随所に木造町家の町並みが残ってる(左)

高麗橋町の町並み(下)
旧大阪教育生命保険(明治45年)
右隣は日本キリスト教団浪花協会(昭和5年)
備後町の町並み(上、左)

綿業会館(昭和6年)
今橋の町並み

大阪倶楽部(大正元年)
御堂筋の町並み

日本生命保険本店ビル(昭和10年)
御堂筋の町並み

大阪ガスビル(昭和8年)
土佐堀川沿いの町並み

旧住友銀行本店(大正15年)
参考資料 リンク
大阪市

参考文献
『図説 日本の町並71 近畿編』 太田博太郎他 第一法規