江戸堀 戦災のない大阪 川に守られた近代建築と町家

大阪府
大阪市
西区
江戸堀1
土佐堀1




交通
地下鉄四つ橋線肥後橋駅下車徒歩






江戸堀

戦災のない大阪マップ



2009.08.10
大阪市内は太平洋戦争下の昭和20年(1945年)、全8回に渡って空襲を受けた。そのエリアは、『全国主要都市戦災概況図』(昭和20年)や終戦後にGHQが撮影した空中写真により確認できる。その記録は大変悲しい記憶ではあるが、一方で戦災を受けていない町を知ることができる。大阪は起伏がないが川や堀が多い。それらの水や鉄道、起伏崖線の緑地などによって戦災を免れたエリアがある。これらのエリアを歩くと今でも戦前の町並みが残っている場所が少なくない。
1945年3月13日、1回目の空襲が大阪市内を襲った最大の空襲だった。焼失したエリアはJR大阪環状線の内側のうち大川から南の範囲にほぼ重なる。この範囲の中では、中之島、大川(土佐堀川)のすぐ南側の北浜・道修町界隈から江戸堀・土佐堀にかけて、谷町界隈、四天王寺北側、九条界隈しかない。

肥後橋の西、土佐堀通りの南北に非戦災地区がある。土佐堀通り沿道や土佐堀川沿いに戦前の近代洋風あるいは近代モダニズム建築が残っている。大阪の近代建築は東京のそれに比較して大切に使い続けているものが多いように思う。逆に言うと経済の地盤沈下の結果なのだろうか。一方、土佐堀通りから南の江戸堀1丁目に入ると僅かながら戦前の町家が残っている。大阪名物の袖卯建の町家や一角が焼け残って小さな住宅が密集している街区もある。背後に高層のオフィスビルやマンションが建っていて、都心部の非戦災地区らしい町並みである。


江戸堀1丁目の袖卯建の町家(上上)と小さな民家が密集して残る街区(上、左)
江戸堀1丁目の上記の街区の表側
改修できれいになっているが、戦前の建物が多いと思われる。
江戸堀1丁目の町並み(左上)






土佐堀1丁目の町並み
土佐堀川沿いに近代建築が残る。山根商店(昭和初期)(左)

背後には中野島の超高層ビルがそびえる(上)

土佐堀通りの船町ビル(昭和12年)

土佐堀1丁目土佐堀川沿いの町並み
山内ビル(昭和5年) 法律事務所で一階にカフェが入っている。


土佐堀通りのダコタハウス
(大正末期〜昭和初期)
参考資料 リンク
大阪市

参考文献